科学社会学会第11回大会企画セッション「ANT入門 and after」~ANTによる介入的実践に向けて

2022年9月18日、科学社会学会第11回大会(於・大阪大学)企画セッション「ANT 入門 and after」に報告者として登壇。タイトルは「誤った研究をしないための科学論として ANT を提示する」。

6月に刊行された『アクターネットワーク理論入門―「モノ」であふれる世界の記述法』(紹介記事)の書評セッション。本書を踏まえて、どのような研究展開が可能かが議論されました。

私は飛行機の時間により定刻で中座してしまったため、十分にリプライできなかったことなどを本記事で共有したいと思います。

プログラム

  • 導入:『ANT 入門』のコンセプトおよび今回のセッションの趣旨・概要について
    栗原亘(高千穂大学)
  • 報告1:誤った研究をしないための科学論として ANT を提示する
    伊藤嘉高(新潟大学)
  • 報告2:人類学的エスノグラフィに宿る「ANT 的なもの」
    森下翔(大阪大学)
  • コメント1:人類学の立場から
    森田敦郎(大阪大学)
  • コメント2:科学史の立場から
    岡澤康浩(京都大学)
  • ディスカッション

リプライなど

定松さんのコメントについて

定松さんから、(少なくとも社会学において、ANTを外に向かって宣伝するときには)「脱人間中心主義とかヒトとモノの区別をしないと言わない方がいいのではないか」との指摘がありました。この点、私も、質問の趣旨を取り違えて、見当違いな回答をしてしまいました。

私の報告の文脈から言えば、科学における「命題の分節化」(リアリティの構築)が、「主体」ないし「客体」の側で一方向的になされるものではなく、モノ(抵抗力を有する諸存在)との連関のなかで成り立ち、それにより「主体」も「客体」も変容していくならば、私たちが何らかの科学批判を科学的に進めるという点からも、「モノであふれる世界の記述法」を掲げる意図を理解してほしいと考えます。

ただ、リアリティをめぐるANT的理解(それこそ、ジョン・ローのAfter Methodの主張)が共有されないことには、そうした受容は困難であることを認めないといけません。

森田さんが基本文献として紹介されたジョン・ローのAfter Methodすら読まれていない状況においては、科学社会学界から、ANTに限らず、ANTに近いもの、反ANT的なものも含めて、(現象学的社会学や社会構築主義の先にある)社会学的リアリティの捉え方について討議・整理されたものを発信していく企画を望みたいです。

森田さんのご報告について

英語圏でまっとうに勝負されている森田さんの発表を直にお伺いすることができ、大変刺激を受けました。社会学では「強い社会科学理論」としての受容すらされていないなかで、そうした受容を退けながらも、上記のリアリティをめぐる理解を踏まえた記述や介入の土台としてANTを位置づけたものとして本書を位置づけて頂き、私も自身の研究の方向性がクリアになりました。ぜひ、ひそみに倣いたいと思います。

栗原さん、森下さんのコメントについて

ANTの応用可能性として、私が生煮えの研究を出してしまい、いろいろフォローして頂いたり、話を広げて頂きました。データを「オブジェクティブなもの(客観性を担保する抵抗するもの)」として捉えよいのかは、私自身も不安なところがあるのですが、物質=記号の不連続の変換を前提にするのであれば、あらゆる存在はモノでありデータであるので、建て付け上は問題ないと考えています。

「強い社会科学理論」を目指すのであれば、医療者の実践を記述すればよいのですが、森田さんの整理の通り、本書によって次の段階に進む時機にあると考えて、この研究では、社会学者が「オブジェクティブな」データセット作成と組み直しに関与して、医療実践のリアリティの構築に参与する道を探りたいと思います。

岡澤さんのご報告について

本書を丁寧に読み解いて頂くとともに、当日のご発表でも時間通りに収めて頂くなど、研究者としての真摯な姿勢に学ぶことばかりでした(岡澤さんのレジメはResearchMapで公開されています)。

内容面では、ラトゥールの近代/非近代論に対する疑念が示されましたが、これは、ラトゥール自身の言葉で言えば、ラトゥールが批判する「社会的なものの社会学」に位置づけられると考えています(議論の進め方はまったくANT的ではないからです。まさに「強い」社会科学理論)。

ただ「社会的なものの社会学」は否定されるべきものではなく、人びとに概略的な全体像と方向性を示してくれる「アクター」としての意義は大きいということになります。したがって、ANTのプロジェクトは、レジメ4ページの「思弁的な(非)近代論によってではなく、……記述の積み重ね」によって達成されるべきであるという主張に全面的に首肯します。

レジメの注10は、まさにご指摘の通りで、筆が滑っています(言葉足らずであるとともに、過大な約束をする「強い」社会科学理論を装っているように見えます)。

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