吉原和男代表編『人の移動事典―日本からアジアへ・アジアから日本へ』(2013年、丸善出版)所収、伊藤嘉高「食の風景と移民コミュニティ」340-1頁。
拙論では、食とアイデンティティ/差異化という基本的視点から説き起こし、食の風景がグローバルなレベルで一元化されつつあるように見える今日においても、いくつものアイロニーや抵抗が充満していることを概説。
本事典は、アジア太平洋地域の域内および域外から、日本およびアジアへの移民・移住など人の国際移動(マイグレーション)について、歴史学・経済学・社会学・文化人類学・政治学・人口論・移民法制・ジェンダー・社会統合・多文化共生の視点から、総合的に論じる中項目事典です。
冒頭抜粋
食とアイデンティティ
フランスの美食家ブリア=サヴァランは、その著書『美味礼讃』(1826年)のなかで、「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言いあててみせよう」と記した。食とアイデンティティとの緊密なつながりを示す言葉である。しかし、あるナショナリストがエスニック・マイノリティの食する料理を食べたところで、その自己アイデンティティが変容するわけではない。
あくまで食は外部との「差異化」の装置として機能している。つまり、「あの人たちが食べるものと自分たちが食べるもの」というかたちで食によってアイデンティティが線引きされているのである。実際に、エスニック・マイノリティの表徴は、しばしば、彼/彼女たちが食するとされる料理の風景―すなわち、見た目、食べ方、味、そして何よりも臭いに求められている。
食文化の相互作用
ホスト社会の人びとは、しばしば、食とアイデンティティとを単純に結びつけてしまうが、エスニシティと同様、エスニック・フードもまた「想像されたもの」であり、受容と拒絶の相互作用により、その境界は揺れ動いている(山脇 1994)。
とりわけ、20世紀後半以降、先進諸国の人びとの間でエスニック・フードに対する関心が高まると、移民たちによる対外的な飲食ビジネス展開の道が開かれ、エスニック・マイノリティの経済的地位向上(さらには中華街のようなインナーシティの「再生」)とともに食文化の相互作用が生まれることになった(cf. Chan 2002)。たとえば、英国の「インド料理店」では、1980年代末になるとクレオール化したカレー料理が提供されるようになり、外務大臣がその代表であるチキンティッカマサラを英国の「国民食」と呼ぶまでになっている。
他方で、英国のイラン人移民の場合のように、人種差別主義者からの嫌悪の対象とされると、直接的な相互作用が生まれることはない。というのも、当のエスニック・マイノリティ自身が、そのエスニック・フード(ハラール)を自分たちのアイデンティティの揺るぎなき象徴とみなして、ホスト社会から隔絶された私的空間のなかで本国にいたとき以上に大切にしようとするからだ(Harbottle 1997)。そうした食に関する宗教儀礼(共食、断食)は、個人の信仰の問題だけではなく、家族やコミュニティの紐帯を強化する役割も果たしてきた。
また、クレオール化した料理やホスト社会の料理を受け入れられない者たちが、故郷の味を求めて遠くまで買い出しに出かける……