「日常性のなかの防犯コミュニティ」『安全・安心コミュニティの存立基盤』所収

伊藤嘉高, 2013,「日常性のなかの防犯コミュニティ」『安全・安心コミュニティの存立基盤』御茶の水書房, 21-56頁.

安全・安心コミュニティは現代を読み解くマジックワードになり得るか? 本書は、フィールドの現場からその光と影に迫るモノグラフ。

要旨

防犯コミュニティ形成もまた、防災コミュニティと同じく、地域ごとの「生活」の全体を見ずに、「防犯」という単一の機能にのみ焦点を当てれば、「動員の論理」、「排除の論理」に堕してしまう。そして、人びとの生活の多様性が「悪」とされ、標準化された「善」に向かって犯罪リスクの低減が図られることになる。したがって、必要なことは、あくまで生活の多様性を認めた日常的なコミュニケーションから、「防犯」活動を生み出していくことにある。この点を山形県内の4つの特徴的な事例の調査により論じた。

冒頭抜粋

「安全・安心のまちづくり」や自主防犯活動、防犯ボランティアのあり方をめぐって、賛否両論の議論が百出している。賛成・推進派は、今日の犯罪の凶悪化、体感不安の高まりを背景に「安全・安心のまちづくり」や自主防犯の必要性を訴える。対する反対派は、犯罪の凶悪化は「幻想」にすぎず、警察による地域社会の再編、監視社会化への入り口であるとして一連の自主防犯活動の取り組みを批判する。本章では、両者の意見に耳を傾けた上で、両者を調停する「防犯コミュニティ」(安全・安心コミュニティ)形成への方途を探りたい。

まずは反対派の声に耳を傾けてみよう。反対派によれば、自主防犯活動の推進は、地域社会を下請けとした警察権力の拡大にほかならず、それはやがて「あらゆる秩序違反活動は根絶されなければならない」とする排他的で独善的な監視社会に至る危険性をはらんでいるという。たとえば、弁護士の田中隆は、全国で後述の「生活安全条例」が制定されるなか、急速に広がる防犯ボランティアによる防犯パトロールを「タウン・ポリス」と呼び、次のように批判している。

タウン・ポリスの視線は、「警察と協力して健全な市民社会を守る」という末端の監視者の目なのであり、その「健全な市民」の自分がときには泥酔してまちを徘徊し「不審者」になることがあることなど、どこかに忘れ去られるのである。その結果生み出されるのが、暮らしや営みの現実から切り離された住民の相互監視社会になることは明らかだろう。その相互監視社会は、安心して暮らせるまちを築くためにはおよそ役立たない。(田中 2003: 6)

とはいえ、今日のグローバルな高度情報ネットワーク社会において、ある程度の「監視」は不可欠であり、ある程度の警察との連携も不可欠である。そして、本稿で見るように、警察との連携のなさが、逆に間違った方向での警察権力の拡大を招く危険性を宿してもいる。つまり、大切なことは、「安全・安心のまちづくり」をただ理念的に批判することではなく、経験的な現場の知に根ざしたバランス感覚にもとづき、監視社会化への分水嶺を見極めることである。

まずは、監視社会化から逃れる防犯コミュニティ形成の理路を、防犯からは一見離れた問題に見える「ゴミ捨て」をめぐる既存の地域コミュニティの対応を手がかりに考えてみたい。……

目次

序論 安全・安心コミュニティの形成のために(吉原直樹)
■ 第1部 ゆらぐ社会と安全・安心コミュニティ
第1章 日常性のなかの防犯コミュニティ(伊藤嘉高)
第2章 災害時の防犯活動の位相(庄司知恵子)
第3章 安全・安心コミュニティの転機(菱山宏輔)
■ 第2部 安全・安心コミュニティの布置構成
第4章 地域資源と安全・安心コミュニティ(松本行真)
第5章 町内会と防犯活動(齊藤綾美)
第6章 防犯活動をめぐるガバナンスの可能性と課題(前山総一郎)
補論1 「次世代」の関与と地域防犯の条件―上尾市陣屋町内会を事例として(高橋雅也)
補論2 都市における秩序と多様性―ジェーン・ジェイコブスと割れ窓理論(笹島秀晃)

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