自分に自信を持てず消極的な人生を過ごしている人間に対して、「前向きになろう」とか「ポジティブに考えよう」とかいったお気楽なアドバイスがなされることが多い。しかし、「ネガティブ・シンキング」から脱却するために希求されるべきは、そうしたお気楽な「ポジティブ・シンキング」ではないようだ。
本書『自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法』(Overcoming Low Self-Esteem)は、オクスフォード大学の精神科医メラニー・フェネルが1999年に出版し、今日では、英国における自助(セルフ・ヘルプ)による認知行動療法の古典として位置づけられている。
つまり、本書では、自己評価の低さや自己批判の強さが認知の歪みとして捉えられる。そして、その歪みがどのようにして生まれてきたのかを自己認識し、そして、その克服を自らの手で行うための道筋が体系的に示されているのである。認知行動療法について学んでおきたいと思い何冊かの本を手にしたが、なかでも本書は、うつ病や不安障害といった精神疾患の問題を切り離しても有益なものであると感じた(実際のところ、正常と異常とは連続線上につながっているのだろうが)。そこで、その主なポイントを私の解釈とともに簡単に紹介したい。
低い自己評価が生み出す「生きていくためのルール」
メラニー・フェネル
(Oxford Mindfulness Centre)
いかに低い自己評価を持とうとも、人は生きていく。そこで、その低い自己評価の「正しさ」をくつがえさずに、しかし、そんな自分にあまり不満を抱かずに生きていくべく、人は独自の「ルール」を設定することになる。
たとえば、過去(とくに子ども時代や思春期)の人生経験により「自分は駄目な人間だ」という見解(最終見解)を持つに至った場合、「もっと優秀にならなければならない」という結論が導かれ、完璧主義が人生のルールとなる。こうして設定される高い基準や、失敗や批判を怖れる気持ちは、常に高いレベルを追求するモチベーションへとつながり、結果として、仕事面で大成功を収めることにもとながる。
しかし、そのために、いつまでも自分の成功を喜べず(自分を認めると仕事へのモチベーションが失われる(と思っている)からだ!)、仕事ばかりの生活となり、身近な人間関係や余暇を犠牲にせざるを得ず、常に緊張した窮屈な日々を過ごすことになる。
あるいは、過去の人生経験により「自分は人に愛されない」という見解を持つに至った場合、「期待されることをすべてやらなければ、人に受け入れられない」、「自己主張をすると人から相手にされなくなる」という人生のルールが導かれる。こうして設定される自己犠牲的、献身的な気持ちは、常に高い道徳や倫理に従おうとするモチベーションとなり、結果として、社会との軋轢を生じさせることなく穏やかな生活が送れるかもしれない。
しかし、そのために、いつまでも自分そのものが「ある誰かに」愛される存在にはなれず、自分自身の気持ちを見失い犠牲にし、自己主張もできない乾燥した日々を過ごすことになる。
こうした「生きていくためのルール」によって、人は一時的にではあれ、低い自己評価を押さえつけることができる。しかし、
ただ、それでは、いつまでたっても問題は解決しません。なぜなら、完璧であること、誰からも愛され認められること、……など、叶えられるはずのない要求をそれは突きつけてくるからです。幸せはほんのいっときです。(63ページ)
無理な要求に応えきることができず、自分自身に対する否定的な見解が確認されると、自己批判的思考が頭をもたげ、低い自己評価が呼び覚まされる(「やはり自分は駄目な人間だ」など)。そして、生きていくためのルールの「正しさ」が再確認され、強化されることになる。
自己批判的思考と闘う
そうした自己批判的思考は、学習によって獲得された習慣であり、かならずしも自分についての真実を反映するものではないという。そこで、まずは、そうした自己批判的思考の「歪み」を認識し、それと闘うことが認知行動療法の出発点となる。本書では、自己批判的思考の歪みを発見するためのポイントとして、以下の点が挙げられている。
- 結論を急ぎすぎていないか
- ダブルスタンダードを使っていないか
近しい人が同じ問題を抱えて相談にやってきたら、自分はどう反応するだろうか。 - 「白か黒か」思考に陥っていないか
- たったひとつの出来事をもとに、自分の全人格を糾弾していないか
自分がひとつ素晴らしいことをしても、それで自分の全てが素晴らしいとは夢にも思わないくせに、ひとつの欠点や失敗で、すぐに自分を駄目な人間だと決めつける。 - 自分の短所ばかりを考えて、長所を忘れていないか
自分を駄目だと思う人間は、極めて用心深く有能な「内なる検事」を抱えているようなものだ。それに対抗する「内なる弁護人」、そして、何よりも「内なる判事」を育てることが大事だ。検察側から出された証拠のみに基づき断罪するのではなく、あらゆる証拠を考慮し、公正でバランスの取れた見方をしてくれる判事である。 - かならずしも自分の責任でないことで自分を責めていないか
もし同じことが誰か他の人に起こったことなら、自分はどう判断するか? - 完璧であることを自分に求めていないか
そして、こうしたポイントにしたがい、自己批判と闘い、バランスの取れた思考を取り戻すための方法論(「自己批判的考えと闘う記録シート」)が提示される。さらには、自分を受け入れるための「活動日誌」というアイデアが示される。
そのうえで、自分がもっている「生きていくためのルール」が何であるのかを発見し、そのルールを変えるとともに、ルールを形成させてきた自分自身に対する否定的な最終見解を明らかにする方法が具体的に示される(「下向き矢印法」)。下向き矢印法自体は認知行動療法のオーソドクスな方法であるようだが、セルフ・ヘルプの観点から見れば、本書の記述はかなり実践的であると感じた(具体的には本書を参照されたい)。
自分を高く評価するなんてはしたない!?
いずれにせよ、ここまできてようやく自らを肯定的に評価する新たな最終見解を形成する下地ができあがる。しかし、ここでこう考えてみたくなる。すなわち、自分を高く評価しようものなら、自分はたちまち鼻持ちならない我がまま勝手な人間に成り下がるのではないか? 価値あることを成し遂げられなくなるのではないか? はしたない人間になるのではないか? と。そんな思いを見透かしたかのように、フェネルはこう指摘する。
でも、忘れないでください。人間らしい弱さや欠点を忘れ、変えたい、あるいは改善したい面を忘れ、そんなものは存在しないふりをしろと言っているわけではないのです。この本は、前向き思考の力を説く本でもないし、非現実的なほど自分に対して肯定的になりなさいと言っているのでもありません。あなたの弱点や欠点を、人間一般に対する好意的な見方の中に組み込んで、「完璧」よりは「及第点」を目指すように後押しする見方、バランスのとれたゆがみない見方を獲得するための本なのです。(219ページ)
かくして、自分自身に対するそれまでの歪んだ最終見解を突き崩し、ほんとうに「正しい」最終見解と生きるためのルールの構築に向けての方法が示される。
その基本は、これまでの最終見解を支えてきた「証拠」に対して、別の解釈ができないかを探ることにある。すなわち、
- 現在の窮状と精神状態(落ち込みや無気力)
→その原因は、自分の能力や適応力が足りないだけなのか。 - 自力で処理できないという経験や事態
→自力で処理できることは大事だが、援助を求めることは悪いことか。自分に援助を求める人間がいた場合、あなたはその人を弱い人間だと決めつけるか。 - 過去の過ちや失敗
→過去の過ちや失敗をもとに今の自分を判断するのは公平なことか。一つ良いことをしたからといって完璧な善人であるとは思わないくせに、一つの過ちだけで自分が根っからの愚かな人間であると信じてしまう。自分の行為と自分自身とを混同してはならない。 - 欠点や欠陥
→ほんの一面に過ぎない欠点や欠陥をもとに自分の全人格を判断するのは公平なことか。 - 身体的あるいは器質的特徴
→自分の持っている肯定的な資質の多くは、自分がこうあるべきだ(やせているべきだなど)という固定観念とは関係ないのではないか。 - 自分と他の人との違い(優劣)
→誰かの何かが優れているからといって、その人間が人間としてあなたより上ということにはならない。人間そのものはほとんど比較不可能である。 - 過去または現在の、他の人のあなたへの態度
→他の人があなたに不快な態度を取るのは、あなたの人間性のせいなのか。人の態度で自分の価値を判断するのは意味のないことだ。 - 自分が責任を感じている他の人(子どもなど)の行為
→その人の行為に、あなたはどの程度の影響力を持っているのか。
こうして、それまでの証拠に対して別様の解釈ができるようになると、古い最終見解の歪みに気づき、新たな最終見解を作ることができる。たとえば、「私は悪い人間だ」→「私は立派な人間だ」、「私は人には受け入れてもらえない」→「私は人に受け入れられる」といった具合に。しかし、ここに至るまでには、何週間、何か月という探索が必要になる――しかし、そのための具体的な方法論が本書には示されている。
さらには、この新たな最終見解に辿り着いたとしても、それを支える証拠がない。そこで、今度は逆に、それまでの最終見解の直接的な反証となり、新たな最終見解の裏付けとなる証拠を集める作業、そして、その正しさを確認する実験が必要になる(しかし、このプロセスは、それほどの時間はかからないという)。
まとめ――心を開いて心を守る孤独を得る
自分に自信を持てない人間は、不安や悲観的な思考から、逃避や完璧主義などといった自己防衛(本書の言葉で言えば否定的な「生きていくためのルール」)を講じてしまう。そうして、チャンスを逃し、難問を避け、人間関係はうまくいかず、業績も上げられず、あるいは、成功を収めたとしても、それが本来の自分の力によるものであると認めることができない。悲しい自己正当化がどこまでも続けられる。
本書に従えば、そんな自分の心をほんとうに守るために必要なことは、まずは、そうした自己防衛をもたらすメカニズムを理解し、自分自身を見つめ直すことである。過去のネガティブな体験は事実ではない。そのときのひとつの意見に過ぎない(さらに、時間論的に言えば、現在と切り離された客観的な過去などは存在しない!)
その上で、信頼している人に対して、自己防衛の柵を取り払って自分をさらけ出し、自分から接近し、自分のことを話し、あるいは、自分のために休むなどの新たな行動に出ること。そして、その結果を自分で検証しながら、新たな「生きていくためのルール」を作り出していくことだ(信頼に値しない人の言動などはことごとく唾棄してよいだろう。ただし、実際のところ、お互いに先入観を取り除くことができれば、信頼に値する人がほとんどだろう)。
人間は孤独であるが故に悩むのではない。リアルなネットワーク、想像上のネットワーク、バーチャルなネットワークで幾重にもつながれた人びとのまなざしのなかで自分を見失っているのだ。そうした「まなざしの地獄」(見田宗介)のなかでは、逆説的にも、自分の心を開いてはじめて自分の心を守る孤独を得ることができるのだろう。
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