なぜ制限用法の関係代名詞でも前から訳すべきなのか―虫の目の日本語

これまで、ジョン・アーリを中心に、いくつかの学術翻訳(社会学系)を行ってきた(輸入学問に身を染めないように注意!)。大学院生時代には、翻訳に関して技術指南書を含めさまざまな書籍を読んだ。そうした書籍でまず強調されるのは、学校で学ばされる英文…

「食の風景と移民コミュニティ」『人の移動事典―日本からアジアへ・アジアから日本へ』所収

吉原和男代表編『人の移動事典―日本からアジアへ・アジアから日本へ』(2013年、丸善出版)所収、伊藤嘉高「食の風景と移民コミュニティ」340-1頁。 拙論では、食とアイデンティティ/差異化という基本的視点から説き起こし、食の風景がグローバル…

無印のなかの場所―近森高明・工藤保則編『無印都市の社会学』御恵送

近森高明・工藤保則編『無印都市の社会学―どこにでもある日常空間をフィールドワークする』が法律文化社より刊行された(近森先生、ご恵送御礼)。複製されたジャンクな消費装置であふれかえる今日の都市空間が本書の対象とされる(たとえば、コンビニ、ショ…

生の固有性と「都市的なるもの」―『都市のリアル』(有斐閣)刊行

第8章「生と死のあいだ―都市高齢者の孤独に向き合う医療と介護」を担当した吉原直樹・近森高明編『都市のリアル』が有斐閣より刊行された。 本書は、今日の都市社会学の教科書として位置づけられている。その筋書きはこういうことだろう。「大きな物語」を…

ローカル・ガバナンスの条件―ネオリベラリズム批判に応える

ローカル・ガバナンス(自己組織型ネットワークによる地域自治)の可能性について議論すると、「それはネオリベラリズムに回収されるだけではないか」と指摘されることがある。理念による批判はいくらでも可能である。その批判を踏まえた上で、英国のニュー・…

なぜリスクは過小/過大に評価され、専門知が貶められるのか―メアリ・ダグラスのリスク文化論

前回の記事では、リスクをめぐる制度的専門知の問題点を指摘するなかで、制度的判断に再帰性を担保するためには、ローカル・ノレッジ(民衆知)を組み込み普遍/特殊の二分法を乗り越えることが重要であることを論じた。 ただし、明らかに非科学的なバイアス…

ローカル・ノレッジはなぜ重要なのか―原発事故とリスク社会論の盲点

原発事故以後、ローカル・ノレッジ(民衆の知、市民の知)に対する日本社会のネガティブな評価が逆に高まっているのではないか。「(ときに「放射脳」とも形容される)素人は余計な口を挟まず、専門家集団が自律性を高めればよい」、「たいして専門的経験のな…