「報告書」

加茂の星会長は、かつて町内会の防災資料集を作成した際、わざわざクリアファイルに一枚一枚はさんで配布したという。私なら、きれいな表紙をつけて体裁を整えてパチンと製本したくなるところだ。そうして出来上がった冊子をパラパラめくって「いいものができた」と、小さな心を満たしたい。

しかし星さんは次のようにその意味を教えてくださった。

「防災の情報は常に最新のものでないと使い物にならないですよね。こうしておけば、新しいものを次々にはさんでいったり、取り替えたり出来るでしょう。見た目じゃないのです」

言われてみれば、確かにそのとおり。しかし、現実にはなかなかそうはいかない。たとえば、公的な機関が出している調査報告書。すべてがそうだとはいわないが、調査のための調査になり、報告書のための報告書になっている(あるいはその後の政策策定のためのアリバイ作り)。作って終わり。税金です。

学問の世界も同様らしく、「報告書」の類は「業績」にカウントされない(つまり研究者の「仕事」とは認められない)。専門知と日常知の境界の融解などということを言うのであれば、(本当ならば)調査協力者に直接フィードバックされる報告書も「論文」と同様に重要なものだと思うのだけど。

さて、今回の町内会調査の報告書が完成した。私たち東北都市社会学研究会は、報告書をまとめて、はい終わり、などという姿勢では調査に臨んでいない。膨大なデータを開示するとともに、「読み物」としても読めるよう、ヒアリング調査の結果もふんだんに織り交ぜ、今後の町内会を考える上での論点を提示することにも努めた。したがって、今回の報告書は一つの新たな「始まり」となるものでもあるはずだ。「中間」成果をフィードバックし、そして、さらに調査は続く(これからもご迷惑をおかけします)。

前回書くと宣言した私の考える町内会の今後については、調査結果を踏まえて報告書に書いてしまったので、ぜひとも報告書をご覧いただきたい。とはいえ、まずは調査に協力いただいた方にお渡しするのが筋である。その後、ウェブ上で公開されることになると思います。

次回は、大学院と、行政と町内会の関係について。

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