「災害支援NPOと地域コミュニティの連携」『東日本大震災と被災・避難の生活記録』

『東日本大震災と被災・避難の生活記録』表紙

東日本大震災から4年が経った今日、『東日本大震災と被災・避難の生活記録』(吉原直樹・仁平義明・松本行真編、六花出版)が刊行された(パンフレット)。

私は、山形をリードする災害支援NPOの代表である千川原公彦さん(twitter, facebook)と、「災害支援NPOと地域コミュニティ―越境する災害文化と鍵を握る平時からの協働」と題した一章を寄せている。以下、簡単に紹介したい。

(ちなみに、山形県は被災者の方を最も多く受け入れるとともに、本学医学部・附属病院では被災地に対する全国医学部からの中長期的な医療支援(医師派遣等)を調整する被災者健康支援連絡協議会の事務局を担っている。)

東日本大震災の発災後には、数多くのボランティア・NPOが全国各地から被災地に向かった。その数は、各社会福祉協議会が把握しているだけでも、被災後2か月間で30万人、被災後約1年間で100万人近くに達した。ただし、阪神大震災を経験した災害NPO関係者たちの実感では、この人数はもっと増えて然るべきであったという。

その原因の一つとして指摘されるのが、「迷惑ボランティア」論の流布によるボランティア自粛とともに、その背景をなしてもいる被災地の「受援力」の問題である。

そこで、私たちの章では、はじめに、全国から集まったボランティアの主たる引き受け手となった被災地の社会福祉協議会(社協)の性格をその歴史的経緯を踏まえて確認した上で、主に今日までの千川原さんの活動をベースに、私のボランティアの経験と調査も踏まえ、東日本大震災以後に社協(広くは地域コミュニティ)とNPOの連携がどのようにして行われたのか/行われなかったのかを検討した。

震災時における災害支援NPOと社会福祉協議会の連携

震災直後の被災地域の社協や行政は「どんな人が来るかわからない」「ボランティアに何ができるのか」「ボランティア、NPOは混乱の元」という認識が支配的であった。自らもまた被災者であり、人手不足やライフラインの未復旧、危険区域の存在などの理由から、多くのボランティアが入ってきてもケアできない、マネジメントできないといった理由から受け入れを拒否する地域が多く見られた。

概略だけ示せば、そうした行政や社協は、ボランティアを一律に扱ってしまい、災害支援に関する専門知識を有さないボランティアと専門知識を有するNPO等を区別する視点を持っていなかった。実際、阪神大震災でも、一般のボランティアと経験者が区別されず入り乱れたために大混乱が起きたのだが、そのときの経験が「ボランティア迷惑論」という誤ったかたちで継承されてしまったのである。

したがって、本来であれば、被災直後は、ボランティア・コーディネートや避難所運営に関する専門知識と実地経験を有するNPOのみ受け入れ、協働してボランティアセンターの体制作りを速やかに行い、その後に一般のボランティアを受け入れるという態勢をとる必要があったのではないだろうか。

ただし、社協とNPOの連携がなされなかったことについては、NPOやボランティアの側にも問題があったことも見落としてはならない。被災者の生活に土足で入り込むボランティアの存在は言うまでも無く、とりわけ被災後一か月は、被災地域に対して上から目線で地域の取り組みを否定して、身勝手なアドバイスや提案だけをして帰ってしまう団体も見られた。

さらに、NPOによる独自支援がはらむ一時性と過剰性の問題(被災者に対して安請け合いにより過剰の期待を抱かせ、自立性までも削ぐ)を考えると、NPOと地域コミュニティとの適切な関係を構築するために、社協のような継続的な中間支援組織が介在することが重要なのである。

平時からの連携と越境する災害文化

したがって、信頼の置けるNPOをどのように見極めるのかがポイントであり、そのために、平時からのNPOとの連携が重要になってくる。続く第2節では、震災時における地域とNPOの連携のために必要な平時からの連携について検討している(NPOの関与による防災福祉マップ作成、要援護者支援、避難所生活準備)。

ここまでは、災害に対する専門知識を有するNPOの活用という視点から論を進めているが、考えてみれば、専門知はNPOの専権事項ではない。被災地の人びともまた、地域に根ざした当事者としての固有の知を形成している。千川原さんが支援に入っている宮城県塩竃市寒風沢島では、長期的な復興支援によって山形県内の水害地域との地域を越えた人間関係が醸成されている。

こうしたありようは、それぞれに災害文化を有する地域同士が(時としてNPOが媒介して)広域的につながり、一方の地域が被災した時には他方の地域が支援に入るという相互支援協定を結ぶという姿の萌芽となるかもしれない。実際に、山形県では、県の事業として防災アドバイザー育成事業に取りかかり、地域内にリーダーを育てる取り組みも始めている。

もちろん、東日本大震災時には、社協同士の連携も広くなされていたし、震災対応が進むなかで、被災地内外のボランティアセンター同士の連携も見られるようになっていった。しかし、被災当初から機動的な対応を見せたのは、震災以前から社協同士の個別的関係が築かれていた社協同士であった

そして、物理的な支援はもとより、支援者側の社協が自らの地域のNPOやボランティアの特性を判断することができたために、そうしたNPOやボランティアを一律的に門前払いにすることなく、有効に連携し、効果的なボランティアセンターと避難所の運営をすることができたのである。

いずれにせよ、こうした持続的かつ越境的な支援/受援関係こそが行政、社協、NPO、コミュニティといったアクターの違いを超えて折り重なり合うことで、さまざまな垣根を越えた人と知のネットワークが生まれる。そして、実際に、東日本大震災では、持続的かつ越境的な支援/受援関係がさまざまなかたちで生まれている。

わたしたちは、真の復興(ポジティブな未来)のためにも、東日本大震災の悲痛な経験に根ざした災害の知をひとつの地域にとどまらせてしまうことなく、大きな集合的記憶として受け継いでいかなければならない。

目次

■ 第Ⅰ部 復興とまちづくり
復興とまちづくり(吉原直樹)
東日本大震災と東北圏広域地方計画の見直し(野々山和宏)
終わりなき「中間」のゆくえ
―中間貯蔵施設をめぐる人びと(吉原直樹)
建設業の公共性と地域性
―東日本大震災復興事業調査の中間報告(千葉昭彦)
震災からの商業地の復興
―田老地区仮設商店街・たろちゃんハウスを事例として(岩動志乃夫)
震災遺構の保存と防災教育拠点の形成(高橋雅也)
災害記憶とその継承のための仕組みに関する考察
―東日本大震災の記憶継承に向けて(金城敬太)
震災まちづくりにおける官民連携の課題
―福島県いわき市平豊間地区を事例に(磯崎匡・ 松本行真)
東日本大震災復興に向けた組織の現状とその類型
―いわき市被災沿岸部豊間 ・ 薄磯 ・ 四倉地区を事例に(菅野瑛大・ 松本行真)

■ 第Ⅱ部 コミュニティ・ネットワーク・ボランテ ィア
災害の避難空間を想像するフィールドワーク
―内部者として、 外部者として(小田隆史)
災害支援NPOと地域コミュニティ
―越境する災害文化と鍵を握る平時からの協働(伊藤嘉高・ 千川原公彦)
顕在化した都心のディバイド
―仙台市中心部町内会と避難所の関わりから(菱山宏輔)
災害対応におけるイノベーションと弱い紐帯
―仙台市の官民協働型の仮設住宅入居者支援の成立と展開 (菅野拓)
長期避難者コミュニティとリーダーの諸相
―福島県双葉郡楢葉町 ・ 富岡町を事例に(松本行真)
沿岸被災地における 「安全・安心」 の社会実装に向けた課題
―福島県いわき市平豊間地区を事例に(山田修司・ 松本行真)
自主防災組織と消防団との連携のあり方
―宮城県東名地区の事例(後藤一蔵)
地域防災における学校施設の拠点性
―釜石市唐丹地区を事例として(竹内裕希子・ 須田雄太・ ショウ ラジブ)
原発事故避難者による広域自治会の形成と実態
―福島県双葉郡富岡町を事例に(松本行真)
コミュニティ・オン・ザ・ムーブ  ―破局を越えて(吉原直樹)

■ 第Ⅲ部 被災後の生活と情報
いわき市 へ避難する原発避難者の生活と意識(川副早央里・ 浦野正樹)
福島第一原子力発電所事故による避難者の生活と選択的移動
―人的資本論にもとづく 「大熊町復興計画町民ア ンケート」 の分析(磯田弦)
原発災害避難者の食生活のいま(佐藤真理子)
学校での災害発生時における避難や避難所対応について
―東日本大震災発生時の豊間小 ・ 中学校等の事例から(瀬谷貢一)
大学の防災における安否確認に関する考察
―首都直下地震に対して東日本大震災からどのような教訓を得るのか(地引泰人)
福島第一原子力発電所事故後の風評被害と心理的 「般化被害」
― 「絆」はほんとうに強まったか(仁平義明)
放射能は 「地元」 にどのように伝えられたのか
―自治体による情報発信と報道に注目して考える(関根良平)
東日本大震災後の仙台市の病院 ・ 診療所に関する支障と情報ニーズについての分析(地引泰人 ・ 大原美保・ 関谷直也・ 田中淳)
原発災害をめぐる大学生の態度(本多明生)

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