「含羞文化」(東北都市学会編『東北都市事典』所収)

東北都市学会編『東北都市事典』(仙台共同印刷、2004年)所収。81-2頁。

冒頭

大人というものは侘しいものだ。愛し合つてゐても、用心して、他人行儀を守らなければならぬ。なぜ、用心深くしなければならぬのだらう。その答えは、なんでもない。見事に裏切られて、赤恥をかいた事が多すぎたからである。〔・・・・・・〕大人とは、裏切られた青年の姿である。(『津軽』)

「含羞」(はにかみ)は太宰治(1909~1948)の造語である。太宰の含羞意識は、これまで「罪、誕生の時刻に在り」という罪意識と結び付けられ考えられてきた。そして、太宰の作品に登場する「罪」を問うとき、太宰自身の私生活の中にその外因を求めて説明されるのが常であった。青森県下有数の大地主に生まれ、不当に恵まれて育ち、革命運動から離脱し、大学も卒業できず、生家から分籍され、心中事件で相手の女性を死に追いやり、自殺幇助罪に問われ、パビナール中毒で借金を抱え、そして武蔵野病院への入院と、こうした数奇な運命の一つ一つが、太宰には、人間性喪失の烙印を意味したとされる。「笑はれて、笑はれて、つよくなる」(『Human Lost』)そう考える以外にはなかったというわけである。この罪意識こそが、太宰文学に通底したものなのだと(奥野健男)。

自分の世の中の人に対する感情はやはりいつもはにかみで、背の丈を二寸くらゐ低くして歩いてゐなければいけないやうな実感をもつて生きてきました。こんなところにも、私の文学の根拠があるやうな気がするのです。(『わが半生を語る』)

そして、この罪意識ゆえに一人苦悩する無垢な男、「無垢ゆえに世間の思惑に利用され、排斥されていく一人の殉教者―その背後にあるのは徹底して社会の偽善と戦う作者の姿であり、自己破滅的な作風をもって社会の権威に立ち向かう『無頼派』の神話が、ここに誕生することになった」(安藤宏)のである。

ここでいう無頼派の神話とは、戦後派的な問題意識から、太宰の作品のうちに倫理的なテーマを読み取ろうとした結果なのであり、たとえば、奥野健男の「ナルシシズムに対しては自己破壊を、生家に対しては脱出を、そして社会秩序に対しては反逆を、これが太宰の一生を貫く下降志向の道です」という言葉がよく知られるところである。

しかしながら、今日のわれわれに通底する含羞意識、含羞文化は、こうしたモチーフに基づくものではもはやありえない。……

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