伊藤嘉高, 2004, 「開発のレトリックとローカル・ガバナンスの歴史的位相―仙台市長町地区を対象にして」『仙台都市研究』No.4: pp.41-57.
要旨
今日、〈まちづくり〉という言葉が世に喧伝され、〈まちづくり〉をめぐる言説が学界においても盛んに発せられている。しかしながら、その内実はといえば、しばしば、いわば「心理学化する社会」と軌を一にしたナイーブな議論がなされ、他方で、保守化の流れの中でボランティアを介したまちづくりが(フーコー的な意味で)「権力の主体化」につながるとの指摘がかたちをかえさまざまになされている。いずれも問題の焦点はまちづくりの主体性にあると考えられる。
本論では、筆者らが中心となって2002年度から行っている、仙台市長町地区のフィールド調査から経験的地平に照らしつつ、〈まちづくり〉をローカル・ガバナンスにおける「開発」のレトリックの一形態と位置づけ、そして、「公と私」の問題と関わらせることで、如上のまちづくりの主体性の問題について一つの見地を提示し、まちづくりの今日的意義、さらにはまちづくりの存立条件が存在論的な「場所」の新たな創出(re-invention)にあることを論じる。
冒頭抜粋
1 はじめに
言葉の意味とはその使用である。〈まちづくり〉という言葉もまた然り。〈まちづくり〉について考えるのならば、どのような文脈でその言葉が発せられているのかをみることから始めなければならない。
とりわけ、今日ではさまざまなアクターが〈まちづくり〉というレトリックを用いていることから、〈まちづくり〉は多義性を孕んだものとなっている。本論の出発点はこの多義性にある。
具体的には、この多義性を捉え返すために、開発という文脈から長町の〈まちづくり〉を歴史的、通時的に把捉する。そして、この〈まちづくり〉の多義性のもつ今日的可能性と問題点を明らかにするために、その分析視角を公・共・私の枠組みの変遷のうちに求め、〈まちづくり〉のもつ今日的意義を論じる。
2 開発の歴史
上述の通り、本論では、〈まちづくり〉、そして〈まちづくり〉がつくる〈まち〉、言い換えればコミュニティというものが歴史的に見た場合どのような位置にあるのかを、日本社会という全体社会における長町の開発の歴史を辿るなかで看取される通時的変化のうちに把捉する(ここでは、分析のために便宜的に〈第1期 都市への移行期〉〈第2期 都市化の進展とそのゆがみ〉〈第3期 転換期〉〈第4期 まちづくり期〉と四区分し論じる)。
本論の調査対象である長町は仙台市太白区の中心商業地であり、北に行けば広瀬川を境にすぐに青葉区の中心部に達する。しかし、広瀬川の存在のために長町は独自の商圏を形成してきた。……