伊藤嘉高, 2006, 「バリ島における開発と文化のポリティクス―ネオ伝統的ローカル・ガバナンスに向けて」『社会学研究』80: pp.145-67.
要旨
本稿は、バリ島を舞台にポストコロニアル状況における「開発と文化」を定位することで、ローカル・ガバナンス分析に必要な基礎的枠組みを提示するものである。
オランダ統治機構によって外から作られた「文化」なる構築物をバリ人自身が積極的に受け入れたことが後のナショナルな国家統一への包摂の契機にもなり、スハルト開発独裁における観光開発の対象として育成されることになった。しかし、外からの開発はすぐれて両義的なものであり、一方では文化を客体化・美学化することでその「価値」を高めたものの、他方では生活としての文化から切り離された人びとの不安を高めたのである。
スハルト体制の限界が露わになる中で、その二面性が具象化している。自分たちの経済利益を確保しようとするミドル・クラスがバリの自律性の正当化の根拠として客体化された文化を「手段」として持ち出しているものの、他方で、生活としての文化を「目的」として守る側からは環境運動という実践として表われているのだ。しかし、ネオ・ナショナリズム化する今日のバリ地域社会のガバナンスを探るためには、両者の相互作用にも焦点を当てなければならない。
冒頭
一九九八年のスハルト政権崩壊以降、経済的、政治的危機に見舞われてきたインドネシア。発足当時は大衆の人気をさらったメガワティ政権が昔日のものとなった今も混迷の淵から抜け出せてはいない。そして、国家再建の脇で、なお腐敗、縁故主義、職権乱用が跋扈し、さらには、民族間、宗教間の紛争、分離主義も目立つようになってきた。スハルトのオルデ・バル期には封じ込められていたさまざまな「声」が噴出しているのである。バリに関していえば、ナショナルなアイデンティティに代わって、原生的な「バリ・アガ」(山間部バリ人)に自らのアイデンティティを求める動きが高まりつつある。この動きのなかでは、「デサ・アダット(≒慣習村)はバリ最後の砦」とみなされ(Reuter 2004)、非ヒンドゥーであるジャワ人の流入が厳然たる問題として受け止められている。
こうした現象を、ガバナンスの面から見てみよう。オルデ・バル期には、スハルト一族が強力な権力基盤をもっており長期安定的な政権であったため、企業と政権が共存共栄できるような状況にあった。そして、汚職についても、まさに「中央集権的」な汚職であったために、不確実性が小さく、企業の生産活動に対する弊害が抑えられていた。オルソンの安定した独裁者モデルがある種の経済発展を説明するように、公共財の過小供給問題が顕在化しない限り、スハルト期のガバナンス構造はある意味で「合理的」であったのだ(大西 二〇〇四)。
この状況は「過剰な中央集権」(over-centralization)と形容することもできる。メイナーは、多くの途上国で見られるこうした「過剰な中央集権」が生じた背景として、コロニアル国家の遺制と統制主義的開発イデオロギーとを挙げている(Manor 1999: 13-25)。まず、コロニアル期の官僚制は、植民地におけるモノカルチャー産業の管理という役割を担い、その運営のために住民から資源を調達する必要がなかった一方で官職やそれに伴う便益を配分することによって国内のエリート集団をその支配構造に組み込んだわけであるが、これをポストコロニアル国家が引き継いだというわけである。さらに、第二次世界大戦の経験から中央集権的な国家運営に対する信頼が高まり、西側諸国で中央主導の混合経済化が進められたことから、新興諸国もまた大規模開発プロジェクトを実施し、国民へのサービスを保証するとともに、国家統合を強化するために中央の強力なリーダーシップが要請されたのである(近代化論的前提)。
しかしながら、スハルト政権崩壊後、いわゆる「民主化」「分権化」が進むにつれ、官僚機構に対する統制が失われ、汚職が地方へ拡散し、民間組織やグラスルーツの各種組織に対する(インフォーマルなものも含めた)徴税が増大している。そして、こうした「分権化」された汚職によって、民間・地域組織はコスト負担のみならず、不確実性の増大によって、その組織活動に大きな打撃を受けているのである。こうした「スハルトの亡霊」によってバリ島も含めた全インドネシアが経済危機から脱することが困難になっているのである。そしてグローバル資本主義による通貨危機、ポピュラー・カルチャー、現金経済化、グローバル・ツーリズムが共振するなかで、そして、近代化とのせめぎあいのなかでローカリティの独自性を現地の住民が主張し、同時に地域の自律を求めるようになっているのである。
さて、こうした状況のなかで求められているのが、(従来の単線的、集権的なガバメントに代わる)新たなローカル・ガバナンスである。このガバナンス改革は、もはや誰の目から見ても、旧来のシステムに復帰するような選択ではありえず、スハルトのような権威主義体制ではなもなければ、偏狭なリージョナリズムでもなく、「民主主義」体制のもとでなされなければならない。
しかし、この場合の「民主主義」体制とは何か。そして、この体制化での「開発」とは何であるのか。本論では、近年の分権化の流れを踏まえ、バリ地域社会における「開発と文化」に焦点をあてることで、この問題に対する一つの社会学的視点を示したい。そこで次節では、具体的な分析の前段として、途上国のガバナンスにおいて「開発と文化」に焦点を当てることの意義について論じる。……