翻訳も進めているマリア・プーチ・デラベヤカーサの『ケアを呼ぶもの』(Matters of Care)を中心に「ANT×フェミニズム科学論」の社会学的なインプリケーションを検討しました。企画頂いた立石裕二さんに感謝申し上げます。
本ページでは、当日配布レジメとメモを公開します。訳稿検討会のメンバー募集も行っています!
当日レジメ
メモ
以下、討論者の鈴木和歌奈さんや司会の栗原亘さん、フロアとの議論により気づかされたことをメモ。
- 上記レジメに書いた「以上の議論からの社会学的な展開可能性」(あくまでたたき台!)と「ラトゥールの存在様態論との比較検討」は、ラトゥール流のANTに寄せすぎていて、「オルター(alter-)」なものにまったく向かっていなかった。
- 「ケアを呼ぶもの」という訳語に違和感があるとの声も。ラトゥールの『社会的なものを組み直す』の拙訳で、matter of concernを仏語版にならい「議論を呼ぶもの」と訳したのだが、本書では、その情動的な面(厳然たる事実 matter of factなるものの構築にも情動は欠かせない)こそを評価しているため、「関心を呼ぶもの」と訳し直した。その上で、「関心を呼ぶもの」が争点化された関心のみに目を向けがちな点を捉え、それ以前のケアの営みによってmatter(重要なもの)が構築され維持され修復されることに目を向けるべく、matter of care概念が提示される。ここで押さえるべきことは、関心もケアも主体的、規範的なものではなく、matterが喚起するものであること(集まりとしてのthing)。その点を明示するために「~を呼ぶもの」と訳した。問題は日本語としてなじみがないこと。
- matter概念の訳注は、バトラーやバラッドだけでなく、ボイルにまで遡って記すべき。
- 鈴木和歌奈さんの「ケアは立ち上がっていくプロセス的なもの」という表現が示唆的だった。enactの訳語を考える際に参照したい。
- speculativeを「思弁的」と訳しているのは、思弁的実在論の「思弁的」と同様の意味合いがあるからだが(本書を含むシリーズには、スティーブン・シャヴィロの『モノたちの宇宙』もある)、しかし、まだまだこの語は旧来的な意味合いで受け止められがち。他方で、デザイン、アート系では、本書の議論が「スペキュラティブ」とカタカナ語で受容されている現実もある。→サブタイトルは「~におけるスペキュラティブな倫理」として、本文は「思弁的」と訳すのもありか(訳注は、レジメにあるように、すでにつけている)。
- hands-onの語は重要。訳語はさらに要検討。
研究会概要
科学社会学会研究会
日時:2025年6月22日(日)13:00〜14:50
場所:Zoomによるオンライン開催(会員限定)
タイトル:「モアザンヒューマンの世界における非規範的で脱主体的な倫理を考える―マリア・プーチ・デラベヤカーサ『ケアを呼ぶもの(Matters of Care)』を手がかりとして」
報告者:伊藤嘉高 会員(新潟大学)
討論者:鈴木和歌奈 会員(大阪大学)
司会:栗原亘 会員(東洋大学)
(趣旨)
近年、科学技術における「ケア」(主客を分離しない関与のあり方)が注目を集めている。M・プーチ・デラベヤカーサ(Maria Puig de la Bellacasa)の「ケア」論をはじめ、「ケア」や「愛着」といった視点から、社会における科学技術のあり方を再考することが、国際的な潮流となっている。これは、従来のconcern(利害関心)とは異なる視点から、科学技術にかかわる人間と人間、人間と非人間的存在(モノや動物、環境など)との多様な関係性に光を当てるものであり、科学社会学会においても、このタイミングで議論を深めることは大きな意義があると思われる。
本研究会では、B・ラトゥール『社会的なものを組み直す:アクターネットワーク理論入門』の訳者である伊藤嘉高会員にご報告いただく。2017年に発表されたプーチ・デラベヤカーサの主著『ケアを呼ぶもの』(Matters of care: Speculative ethics in more than human
worlds)を中心に、ポスト・アクターネットワーク理論の研究動向との関連にも触れつつ、ご報告いただく予定である。