無印のなかの場所―近森高明・工藤保則編『無印都市の社会学』御恵送

近森高明・工藤保則編『無印都市の社会学―どこにでもある日常空間をフィールドワークする』

近森高明・工藤保則編『無印都市の社会学―どこにでもある日常空間をフィールドワークする』が法律文化社より刊行された(近森先生、ご恵送御礼)。複製されたジャンクな消費装置であふれかえる今日の都市空間が本書の対象とされる(たとえば、コンビニ、ショッピングモール、サービスステーション、大規模量販店などなど)。

こうした都市空間は、しばしば「非場所」とネガティブに形容されてきた。つまり、非場所とは、コミュニティの集合的記憶が物質的に堆積された「場所」と対比されるものであり、「超近代」の社会関係を特徴づけるものであり、「まったく新たな孤独の経験と試練」(マルク・オジェ)を人びとにもたらすものである。非場所同士を区別するものは何もなく、人びとはすれ違いはするが出会うことはない。

無印都市―「身体の緊張」からの脱却

ところが、本書では、このように論断される都市空間のありようが「無印都市」とニュートラルに名付けられ(コールハースの「ジェネリック・シティ」からとられている)、そこでの人びとの空間的営為の厚みと広がりと豊かさとがポジティブに捉え返される。しかも、それは「『無印』化に対抗するカウンターの動きというよりも、むしろそれ自体が『無印都市』の享受の仕方の一部に含まれる動き」(p.6)であるという。

編者の一人である近森は、その特徴をベンヤミンの「気散じ」ならぬ「身散じ」の態度として捉える。すなわち、記号消費によって舞台化された都市のなかで、他者の目線を感じ個性化のゲームを繰り広げざるをえない「身体の緊張」からの脱却である。

「無印都市」のジャンクな消費装置のなかでは、身体はきわめて弛緩し脱力している。〔基本的な空間レイアウトが統一された〕コンビニのなかで、TSUTAYAのなかで、モールのなかで、私たちはとくに他者の視線を意識したりせず、まるっきり油断をしてだらしなく過ごしている。身体をゆるやかに弛緩させた状態で、全面的に調整された消費環境に、受動的に身を浸すような態度。それが〈身散じ〉の状態であり、ジャンクな消費装置は、そうした〈身散じ〉を積極的に誘発し助長する消費空間である。(p.15)

〈身散じ〉と非近代の場所

本書を読みながら、ジンメルの『大都市と精神生活』を思い起こした。ジンメルは、近代の都市生活が、時計の時間に支配された「最高度の非人格性をもった構造」をもつなかで、他者との差異化を目指す「高度に人格的な主体」を生み出すという両面性を描き出したのであった。

しかし、本書で描かれる、だらしない〈身散じ〉はもはや近代的主体の営みではない。本書では、さまざまな論者がさまざまな消費装置を対象にしてフィールドワークを行い、自ら〈身散じ〉の状態に身を置いているが、そうして生まれた論考からは、以上のような近代の両義性に回収されない非近代(反近代ではなく!)のポジティブさを読み取ることができる。たとえば、アートフェスティバルの論考からは「序列の不在を秩序付ける『つながり』は、批評を必要としない分だけライトな消費を誘発する」(p.186)といった指摘がなされる。

しかし、思うに、そうしたフレキシブルな〈身散じ〉の裏側には、消費装置に従事する人びとのマニュアル化されたノン・フレキシブルな動き(さらには舞台裏でなされる物や情報の動きの統制)があるはずだ。ただし、そうした複雑な動きのネットワーク自体もまた脱中心化されたものになっている。たとえば、大規模イベントの誘導員など、一見計画に沿ってなされているように見える行為でも、実際のところは、その場その場の状況との相互作用に基づき最適とされる行為が創り出されている。

より熟慮された、また、それほど高次に技能的ではない活動においてさえ、一般に、私たちは、ある行為の道筋がすでに実行されるまでいくつかの選択可能な行為の道筋やその結果を予期したりはしない。そのいくつかの可能性が明らかになるのは、現在の状況において行為が進行中のときだけということは頻繁にある。(ルーシー・サッチマン『プランと状況的行為』p.51)

こうした複雑な動きのネットワークのなかで、はじめて人びとの〈身散じ〉が可能になっている。つまり、人びとの〈身散じ〉とともに、さまざまな動きが相互連結・相互依存の束となって、多くの差異化が取り払われ、人びとは複雑適応系の要素となる。この複雑系こそが、今日の無印都市のなかで動力学的に創発する新たな「場所」なのかもしれない。

追記

『三田社会学』に拙評が掲載されました。詳しくは、記事「【書評】近森高明・工藤保則編『無印都市の社会学』(『三田社会学』掲載)」へ。

目次

Ⅰ 無印都市のフィールドワーク
1. 無印都市とは何か?
2. 都市フィールドワークの方法と実践
Ⅱ 無印都市の消費空間
3. 人見知り通しが集う給水所(コンビニ)
4. 消費空間のスタイルがせめぎあう場所(家電量販店)
5. 安心・安全なおしゃれ空間(フランフラン)
6. 「箱庭都市」の包容力(ショッピングモール)
7. 目的地化する休憩空間(パーキングエリア)
Ⅲ 無印都市の趣味空間
8. 孤独と退屈をやり過ごす空間(マンガ喫茶)
9. 匿名の自治空間(パチンコ店)
10. 味覚のトポグラフィー(ラーメン屋)
11. 「快適な居場所」としての郊外型複合書店(TSUTAYA/ブックオフ)
Ⅳ 無印都市のイベント空間
12. 目的が交差する空間(フリーマーケット)
13. 「場」を楽しむ参加者たち(音楽フェス)
14. 順路なき巨大な展示空間(アートフェスティバル)
Ⅴ 無印都市の身体と自然
15. 都市をこぐ(自転車)
16. 都市空間を飼い慣らす(フィットネスクラブ)
17. ビーチの脱舞台化・湘南(都市近郊の海浜ゾーン)
Ⅵ 無印都市の歴史と伝統
18. すぐそこのアナザーワールド(寺社巡礼)
19. 構築され消費される聖と癒し(パワースポット)
20. 不親切な親切に満ちた空間(寄席)

書籍情報

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