恩師である吉原直樹先生からご恵送頂きました。吉原直樹著『モビリティーズ・スタディーズ』ミネルヴァ書房、2022年。「叢書・現代社会学」シリーズの第9巻。
本書では、空間論的転回から移動論的転回に至るまでの議論が体系的に記述されています。私が本書を通して学んだのは、これらの議論が、私が吉原先生に師事する契機となった「共同性と公共性」をめぐる研究(つまりは市民社会論)のなかに常に位置づけられ展開されていたことでした。
本書は、グローバル化社会における移動の意味と方向性を考察するとともに、社会学における移動論的転回がもたらす社会学理論の再構成のありようを明らかにしようとするものである。あわせて、モビリティーズ・スタディーズが現代社会学におけるフロンティアのひとつであることを示す。日本におけるモビリティーズ・スタディーズの嚆矢となることが強く意識されている。
吉原先生と私
私が吉原先生に師事するきっかけは、学部時代にゼミで輪読した『社会学評論』2000年50巻4号の「特集〈21 世紀への社会学的想像力―新しい共同性と公共性」に吉原先生の「地域住民組織における共同性と公共性―町内会を中心として」が掲載されていたことでした。
当時の私が魅かれたのは、以下の引用に見るように、地域コミュニティの共同性に対して、ある種の文化論のように本質主義(=定住主義!)的に擁護するのでもなければ、その裏返しとしての近代化論のように毀損するのでもない記述のあり方が、吉原先生の経験的研究から導き出されていたことでした。
町内会における〈共同性〉が「住まうこと」に根ざして、共同生活にあらわれる共通の課題を地位とか身分に関係なく共同で処理するところから派生したものであり、そうした〈共同性〉が普遍化して生じた「共的な自治」(=ガヴァナンス)=「公的」業務の枠組が、いわば〈公共性〉として表出している。
吉原直樹「地域住民組織における共同性と公共性―町内会を中心として」p.572
こう考えると、「〈領域性〉に執着した、1970年前後からはじまった日本のコミュニティ政策の挫折」(p.581)は当然であり、しかし、大切なことは、そうした〈共同性〉を、領域化(固定化)を促す力との関係のなかで捉えなければならない、ということになります。
大学院に進んでからは、本書でも記されている通り、ジョン・アーリの一連の著作の翻訳にも関わらせていただいたのですが、当時の自分は、正直、単なる知識欲だけで読み進めており、上記の「共同性と公共性」という問題構制と意識的に結び付けて考える姿勢が抜けていたように思います。
「生活の共同」と空間論的転回、移動論的転回
ところが、本書を通して見えてきたのは、本書で体系的に記述されている空間論的転回、移動論的転回の議論が、常にこの「共同性と公共性」、つまりは市民社会論のなかに着実に位置づけられ展開されていたことでした。
そもそも、冒頭の吉原論文のキーワードをなす「生活の共同」をめぐって、本書では以下のような記述がみられます。
オギュスタン・ベルクは、日本の近隣の基底に人と人とが相互に喚び合う位相的関係をみてとり、内に閉じられていて、「同じであること」を強いられるという、日本の近隣にたいする通説に異議をとなえている。ベルクによると、階級、職業が混在してて、信条も雑多であること、そしてそのことが「生活の共同」の場面において障害にならないのが日本の近隣の特徴であるという。そしてその要因を、その場その場の状況にしたがうという「場の規範」、目に見える人間関係による黙契のようなもの、つまり暗黙の裡にできあがる合意のようなものが機能していることに求めている。(p.164)
さらに、同時に、その「開かれたもの」は、戦時体制期のように、均質化・平準化・領域化によって、容易に「閉じられたもの」へと転成もしくは反転する契機を宿しているとして、以下の課題を挙げています。
あらためて問われるのは、コミュニティにひそんでいる「開かれたもの」の可能性を、それがつねに「閉じられたもの」への転成の契機を宿していることを見据えながら、コミュニティを構成する諸主体のつながりや流動的な相互連関が異他的なものへとつながっていく道筋において示すことである。(p.165)
この課題に対して、空間論的転回・移動論的転回はどのように位置づけられるのでしょうか。いくつもの論点が本書で示されていますが、ここでは誤解を恐れず単純化します。まずは、空間論的転回によって、「社会的なもの」を「境界づけられたもの」、「仕切られたもの」とみること(「空間の物神性」)から離脱することが可能になります(p.129)。さらに、移動論的転回によって、線形的(一様的、非創発的)な「生活の共同」を移動が支えるのではなく、移動が非線形的(経路依存的、相互連関・相互変容的)な「生活の共同」をもたらす動態の記述へと目が向けられることになります。
そして、それは、決して理想論的な空論ではありません。本書では、海外日本人社会、原発避難者、オートモビリティ、コロナ禍の地域コミュニティを対象に、苦渋や苦難、陥穽とともにある現実であることが示されています。
最近もまた、この共同性と公共性の関係が反転し、大阪市の市営住宅の一室で精神障害を抱える男性が自ら命を絶ってしまう事件が起きました(「『しょうがいか(が)あります』弟を死に追い込んだ2枚のメモ―自治会相手に訴訟を起こした兄が判決を選んだ理由」)。問題にすべきは、特定の個人の心性ではなく、規則順守を第一にせざるを得なくなってしまった社会的諸関係(極端な場合には「規則にしたがっているのだから自分は悪くない」という思考停止の規則主義が現れます)の様相です。
アクターネットワーク理論
以上の整理は、あくまで本書の多様な論点の一つを簡潔に示したものにすぎません。私はいま、アクターネットワーク理論(ANT)に目を向けているわけですが、以上の簡潔な整理だけでも、ANTに対する私の着目が無意識のうちに吉原先生の影響を強く受けたものであることに気づかされます。
たとえば、ANTは「モノ」を「厳然たる事実」として扱うのではなく、「議論を呼ぶ事実」=「集めるものとしてのthing」として扱い、thingをめぐる諸存在の連関に目を向けるわけですが、これこそ「生活の共同」として地域社会学が捉えてきたことであることが分かります。そして、〈共同性〉から「共的な自治」(=ガヴァナンス、〈公共性〉)に至る力学への着目もまた、ANTの「翻訳」概念と軌を一にするものであることが分かります。
ちなみに、本書ではジンメルが移動論的転回の源流として位置づけられており、吉原先生が1980年代からその潜在性に注意を向けていたことも伺い知れます。ちなみに、ラトゥールは『社会的なものを組み直す』で自身の社会学の先駆者としてタルドを挙げる一方で社会学批判を繰り広げていますが、ジンメルに触れていないという点からも、藁人形論法の誹りを免れえないことがわかります。
目次
序 章 モビリティーズ・スタディーズのめざすもの
1 ポスト移動研究の先駆け
2 モビリティーズ・スタディーズの底流
3 本書の構成
第Ⅰ部 社会を読み直す――ラトゥールからアーリへ
第1章 「社会的なもの」の問い直し――ラトゥールの問いから
1 ラトゥールの「社会的なもの」
2 社会学的言説における「社会的なもの」
3 〈社会学的〉メタファーの位相
4 モビリティーズ・スタディーズへの理路に向けて
第2章 「空間論的転回」から「移動論的転回」へ――アーリを読む
1 市民社会論者としての立ち位置
2 「空間論的転回」の道筋
3 「移動論的転回」の地層――「非線形的思考」の含意と「創発」のメカニズム
4 モビリティーズ・スタディーズにおける弁証法的契機
5 「未知の未知」のゆくえ
6 協働体をめざして
第Ⅱ部 モビリティーズ・スタディーズへ――理論的開示に向けて
第3章 モダニティと「時間と空間」
1 モダニティの両義性
2 モダニティのなかの「時間と空間」(1)
3 モダニティのなかの「時間と空間」(2)
4 モダニティの両義性から再帰性へ
第4章 グローバル化と「時間と空間」――ギデンズからハーヴェイへ
1 モダニティの両義性へのまなざし
2 「時間と空間の圧縮」と表象の危機
3 「時間と空間の圧縮」から「場所の差異化」へ
4 「はじまり」としての空間から資本主義へ
5 ギデンズとの相似性――「時間と空間の遠隔化」を読む
6 実践的唯物論からの離床の可能性
第5章 社会空間論への道標――ルフェーヴル『空間の生産』をめぐって
1 「空間の生産」の三つの概念・次元…106
2 身体の三重性
3 空間的身体から身体のリズムへ
4 日常生活批判、都市論と『空間の生産』の間
5 モビリティーズ・スタディーズの水源をもとめて
第6章 モビリティーズ・スタディーズの源流――ジンメルを読む
1 都市社会学におけるジンメルの位置転換
2 モビリティーズ・スタディーズからみたジンメル(1)
3 モビリティーズ・スタディーズからみたジンメル(2)
4 ジンメル都市論から
第7章 グローバル化・モビリティーズ・コミュニティ――一つの視座設定
1 グローバルな複雑性と「非線形的思考」
2 モビリティーズ・スタディーズの方法的拠点と方向性
3 「創発するコミュニティ」のメカニズム
4 コミュニティ・オン・ザ・ムーブ
第Ⅲ部 モビリティーズ・スタディーズから――経験的地平をもとめて
第8章 「越境」の変容とゆらぐ海外日本人社会
1 海外日本人社会はどのようにして形成されたか
2 移動と越境
3 グローバル化の進展と越境の変容
4 トランスマイグラントの存在形態
5 ゆらぐ海外日本人社会――一極集中型から多極分散型へ
6 パラダイム・チェンジをもとめて
第9章 エグザイルからポスト・エグザイルへ――「災厄と移動」への一視点
1 大熊町民の分散居住・避難と移動
2 エグザイルとしての避難者
3 コミュニティとサロンの間
4 二つの時間と二つの空間
5 ポスト・エグザイルの地層
第10章 ポスト・オートモビリティのゆくえ
1 オートモビリティと「時間と空間」
2 自動車文化の三つの時代
3 オートモビリティの非線形的な形状
4 ポスト・オートモビリティの地層
5 いま再び「非線形的思考」を問う
第11章 トランジション・シティへ――「ウィズ・コロナ」からさぐる
1 「いまを見る目」から浮かびあがるもの(1)
2 「いまを見る目」から浮かびあがるもの(2)
3 「未来を見る目」から立ちあがるもの
4 トランジション・シティの要件
5 「マイクロな生活」の行き先
補 論 ソーシャル・ディスタンスの明と暗
終 章 モビリティーズ・スタディーズのさらなる展開に向けて
1 モビリティーズ・スタディーズのインパクト
2 さらなる展開に向けての二つの課題
あとがき