古い話になるが、2004年からの新臨床研修制度によって、医師が自由に研修先を選べるようになった結果、地域医療を支える人材の供給源であった大学から医師がいなくなり、地域医療の崩壊に拍車をかけた。地域医療の実態を知るものであれば、疑う余地のない事実であると思っていた。
ところが、最近、新専門医制度をめぐる議論のなかで、この見方を否定する主張が出てきた。「既得権益者の妄想」(!)にすぎないというのだ。以下の論説である。
「『医師偏在の加速』という嘘を振りまく厚労省、大学―既得権益者の妄想と裏腹に、健全な競争で地方の病院に若手集まる」JBPress、2016年12月19日(医療ガバナンス学会MRIC、2017年1月12日にも転載されている)
上記論説では、「市町村ごとの医師数、人口データを元に、医師の偏在が定量的に評価」されている。具体的には、市町村別人口当たり医師数について、(格差の大きさをあらわす)「ジニ係数」が計算されている。その結果、「驚くべきことに、新臨床研修制度が始まった2004年から2014年まで、ジニ係数は0.60から0.56と、ジニ係数は減少傾向にあった」。
そして、「医師の地域偏在は、拡大するどころか、むしろ縮小している可能性すらあるのだ。これは、私の実感とも一致する」という。しかし、私の実感とは一致しない。
ジニ係数単純解釈の問題点
上記論説の問題は、ジニ係数を単純に解釈していることにある。問題点を列挙しよう。
(1)平成の市町村大合併の影響を無視している
2005年から2008年にかけて市町村数が2,395から1,782に減っている。人口当たり医師数の少ない地域が合併により減少した結果、ジニ係数が低下。
(2)地方の人口減の影響を無視している
地方部では、医師数の減少以上に人口減が進んでおり、地方における人口あたり医師数が増加している。その結果、人口あたり医師数のジニ係数が低下。実際、ジニ係数が低下しているのは、平成の大合併がピークを迎えた2005~6年である。
(3)大学による地域医療支援の役割を無視している
いずれにせよ、上記の医師数のデータは所属機関の所在地でみたものだ。しかし、大学に所属している医師は、他地域の病院に出張し非常勤でさまざまな支援を行い、地域医療を支えている。大学病院所在都市の人口当たり医師数が高いこと=遍在とは一概に言えない。
市町村合併の影響を検証する
上記の論点は検証するまでもないだろう。そもそも、市町村単位で医療提供体制を評価することの妥当性を感じず、だからこそ、誰も表立って反論してこなったのだろうが、いまだに上記のデータを用いた言論を見かける。そこで、ここでは、データに基づく反論を示し、今後の客観的な議論の構築に寄与したいと思う。
具体的には、山形県を材料に上記論点の(1)を検証してみたい。用いるデータは、上記論説に合わせて、2004年の「医師・歯科医師・薬剤師調査」における「医療施設の従事医師数」の市町村別データと、市町村別人口(住民台帳による)である。このデータを用いて、まずは、(1)県内のジニ係数を算出する。さらに、(2)市町村の区割りのみ合併後に置き換えて(つまりは、医師数と人口のデータを合併後の区割りで再集計して)ジニ係数を算出する。両者を比べることで、純粋に合併の影響を見ようというわけだ。
山形県では、平成の市町村合併により、2005年に市町村数が9減り、44→35になっている。つまり、減少率は20.5%になるが、この減少率は、全国第42位であり、他都道府県と比べると、合併は進んでいない。つまり、実際に全国の市町村合併がジニ係数低下に及ぼした影響よりも過小に出る(=全国値はもっと高い)。
(1)まずは、2004年の当時の市町村区分に基づく、市町村別人口当たり医師数のジニ係数を求めたところ、0.433であった。
(2)次に、市町村の区割りのみ合併後に置き換えて(つまりは、医師数と人口のデータを合併後の区割りで再集計して)ジニ係数を算出したところ、0.405であった。
つまり、市町村合併そのものの影響だけで、ジニ係数は0.028も下がるのだ。そして、2004年から2006年にかけての全国値も同程度の下がり幅なのである。上記で挙げた他の論点も加えれば、どうなるだろうか。
※ちなみに、新専門医制度の意義については、『毎日新聞』2017年6月4日号「新専門医制度―来年度スタート目指す」の記事中に掲載されている「医師の勉強の質保て 日本脳神経外科学会理事長・嘉山孝正氏(67)」を、反対側の論説とともに参照されたい。
さらには、2005年のインタビューになるが、「医師の生涯学習とキャリアの選択第2回 「医者」として正しい専門医へ―嘉山孝正 氏」もある。