伊藤嘉高, 2008,「町内会の現状と課題―非制度的な共同性の復権のために」『仙台都市研究』6: 11-36.
要旨
近年、「地域社会の再生」を目指す人びとの間で、町内会に対して新たな存在意義を与えようとする動きがみられる。本稿は、仙台市域の町内会を対象として、そうした理念的な町内会像の妥当性について検討するものである。
筆者らの調査によれば、今日でもなお「地域社会」では数多くの機能が諸々の地域組織によって担保されており、そうした組織の多くの人的、金銭的資源は町内会をベースにしている。しかし、それら地域団体は町内社会の必要に応じて自生的に立ち上がったものではなく全市的な準行政的組織として編成されたものであり、そのことによってオフィシャルなかたちでの地域社会の全体性を成り立たせてきたのである。世帯構成の変容などを背景として、町内会による「地域ぐるみ」の共同性から、準行政的公共性によって「全体性」を担保した地域形成への依存を強めているのである。
いかに町内会が日常的な生活機能を担っているとはいえ、虚構の「全体性」において町内会は町内の住民を拘束する権限もなく、現実に、役員のなり手不足、全体的な活動への参加の少なさといった問題は深刻化している。そして、「全体性」を一身に引き受ける今日の町内会は、住民を多元的につないでいく役割を模索しているところにあり、親睦活動もそうしたものへと変わりつつある。町内会が行政の末端的な役割を「地域ぐるみ」で引き受けていくことの限界が、虚構の「全体性」を超えて顕現し始めている。こうしたなかで、「外から」いくら町内会の役割を与えても、会長や一部の役員に負担が重なるばかりで、さらに、そうした負担の重さをみた一般の人たちはますます活動から遠のいてしまう。つまり、町内会が活発化するほど、無関心層が増えるのだ。
したがって、町内会の活性化の鍵は、むしろ町内会にかかる負担を軽くし、各々の地域の人びとが交わり合い、そして町内会が親睦活動も含め自律的に活動できる環境を整えることにある。新たな法的、社会的環境の整備は、共同性=公共性の制度化による地域の硬直化ではなく、非制度的な共同性の復権のためにこそなされなければならない。
冒頭抜粋
ここ最近、「地域社会の再生」を目指す「外の」人びと(たとえば自民党地方行政調査会)の間で、無関心層が増えるばかりの町内会に対して改めてその存在意義(可能性)を付与しようとする動きが高まっている―福祉、防犯、防災、教育、そして自治(そうした動きについて、中田 2007を参照)。「社会の終焉」が指摘されて久しい昨今、奇妙なことに、「地域社会」だけは、「コミュニティ」のイメージの下、その全体性、一体性が求め続けられているのだ(Urry 2000=2006を参照)。しかし、外から描かれる「ひとつの」理念的な地域社会、町内会像は果たしてどれだけ現実の地域における「いくつもの」社会的諸関係、諸過程と合致しうるのであろうか。
全般的な「地域社会」の物質的、社会的変容のなかで、各地の地域的条件によって町内会もその多様性を強めている。本稿では、筆者も実施メンバーとなった2005年仙台市町内会調査の結果(東北都市社会学研究会 2006)、2006年の山形市町内会調査のデータ(東北都市社会学研究会 2008)、および、同会による1994年仙台調査(東北都市社会学研究会 1995)、さらには、筆者のフィールドワークを適宜、参照しながら、仙台を舞台とした町内会の「いま」、そして現実のローカルな諸関係、諸過程を踏まえた「活性化」に向けての課題を描出する。……