東北社会学会の2021年度第1回研究例会に司会として参加しました(オンライン)。報告者は東北大博士前期課程の大森駿之介さんで、題目は「性的マイノリティは『地方』をいかに生きるのか—かれらの語りに現れる『場所』の検討から」でした。
コメンテーターは、前川直哉さん(福島大学:非会員)、森山至貴さん(早稲田大学:非会員)でしたが、お二方からは、ときに厳しくありながらも、(修士論文自体も読み込んだうえで!)本当に内在的で建設的なコメントがなされました。
私自身も、大森さんと同じ立場の頃(修論を書き上げたばかりの頃)、学外の某有名研究会で報告する機会を頂いたのですが、そのときは私の発表内容を全否定するコメントばかりをいただきました。そして、その衝撃があまりに強く、修士の研究内容をすべて封印して(このブログにいくつかの残骸がありますが、今思えば情けない!)、博士後期課程に進むことになりました。
ここで私が書きたいのは、過去の恨みつらみではなく、大森さんが優れた修論を書き上げたからこそ、私が「うらやましい!」と思わされるコメントを大森さんが受け取れたことです。そして、大森さんが博士前期課程のうちから、コメンテーターのお二人に代表される学外の人的ネットワークを構築し、研究上の交流を進めてきたからこそ、3者による自由な議論が成り立ったに違いないことです。
翻ってかつての自分自身を顧みると、当時の自分は都市社会学を専攻していたものの、空間論的転回に代表される既存の議論には一切乗ろうとせず、当時の英国のガバナンス論の展開を参照しつつ、(日本ではもはやだれも注目していないであろう)1980年代以降のメアリ・ダグラスの議論から独自のローカルガバナンス論を構築するという「アノマリー」なことを一人で行い、発表に臨んでいました。そりゃあ、あなた、相手にされないのも当然だろうと、18年越しに気づかされた一日でした。