都市は移動によって成り立っています。社会学ではさまざまな移動に焦点を当ててきましたが、現代日本の都市居住環境を大きく左右しているのが医療の移動です。
高度成長時代には、交通網が発展途上であったために、1都市に1急性期病院が作られ、急性期病院が都市成長のひとつの鍵をなしていましたが、少子化による自治体財政の悪化や医療の高度化により、1都市=1急性期病院の図式は成り立たなくなり、急性期病院の再編が求められるようになっています。
もはや「自分のまち」に急性期病院があるかないかではなく、今日の発展した交通網での救急自動車利用を前提に、「自分のまち」に対する感覚を広げて、救急自動車による一定時間での移動が可能な範囲内に、多様な救急医療に対応できる急性期病院があるかないかが問われるようになっています。
そうした文脈のなかでドクターヘリを捉えてみたいというのが今回の研究の出発点です。何となく、「自分のまち」には十分な態勢を整えた急性期病院はないけれど、ドクターヘリがあるから何とかなるだろう(したがって、病院再編は必要ないだろう)と考えている地域住民の方は少なくありません。
しかし、ドクターヘリはいつでも飛べるわけではありませんし、日没時や強風時、大雪時など、いつでもどこにでも着陸できるわけでもありません。ドクターヘリが利用できないときに、自分の子どもが重度の熱傷になった場合に、いまある「自分のまち」の病院で十分な治療が可能なのか。こうした点を可視化した上での政策決定こそ、今日の病院再編には求められているのではないでしょうか。
現在は、本研究をさらに発展させて、津田塾大の伊藤由希子先生ととともに、新潟大学医学部救命救急医学分野の西山慶教授をはじめとする先生方にご指導いただきながら、新潟県のドクターヘリの運航に関する研究を進めています。
書誌情報
- 伊藤嘉高, 石井亜実(2022)「ドクターヘリ用ランデブーポイントの配置に関するGISシミュレーション―新潟県内消防本部等へのインタビュー調査を踏まえて」『東北都市学会研究年報』19・20: 17-30.
要旨
従来の都市圏を越える広域救急医療の代表がドクターヘリ(以下DH)である。DHの基地配置をめぐる研究は数多く見られるが、DHの着陸地点であるランデブーポイント(以下RP)、とりわけ冬期のRPの運用についてはほとんど研究されていない。そこで、本研究では、積雪の多い新潟県を対象に、RPの配置と管理・運用についてインタビュー調査とGISシミュレーションを行った。
その結果、新潟県は、出動率、出動回数の面で見れば十分な実績を上げており、DHとRPの実際の運用についても大きな課題は認められなかった。本シミュレーションにおいても、ほとんどの地域のRPで90%以上の人口カバー率が見られた。他方で、都市圏によっては低い値も見られた。本シミュレーションによって今後どの都市圏でRPを重点的に整備すべきかが可視化された。
ただし、冬季は使用可能なRP数が著しく減少し、降雪時に利用可能なRPのさらなる整備の限界も明らかとなった。DHの意義は、とくに三次救急を担う医療機関が設置されていない都市圏で大きいとはいえ、主に冬期のDH運航の限界を考慮に入れれば、DHに頼り切るわけにもいかない。
DHの有効性と限界を認識することは、目下、全国で議論が進められている広域連携による病院再編にとっても重要である。病院の集約化の目的として、経営上の問題もさることながら、救急自動車による三次救急患者の搬送にも対応できる医療機関を各都市圏に整備するという視点も求められる。
冒頭抜粋
新潟県の医療提供体制はさまざまな困難のなかで維持されてきた。ひとつは地理上の困難である。新潟県の県域は広く南北に長く伸びており、その面積は全国第5位を占める。したがって、一極集中による効率的な医療提供が難しく、多極分散型の提供体制を採らざるを得なかった。さらに、県境までは中山間地域が広がり、冬期は全国有数の降雪量にも対応しなければならない。このような状況のなかで、新潟県の医療は、県立病院をはじめとする公的医療機関が各都市圏に点在しており、へき地医療についても大きな役割を担ってきた。
そうしたなかで、二つ目の困難である医師数の問題が上記のような分散型の医療提供体制の持続を難しくしている。新潟県内の医師養成機関は新潟大学医学部しかなく、そもそも人口に対する医学部定員が少ない(江原 2012)。さらに、医学部生の多くを占める県外出身者の県内研修率も低く、県内の医療機関に十分な医師数を供給することが困難な状況が続いており(医師の多寡を客観的に評価する医師偏在指標は全国最下位である;新潟県 2020)、とくに新潟医療圏外でより魅力的な研修環境・勤務環境を提供することが求められている。しかし、分散型で配置されている中規模医療機関では、1医療機関当たりの医師数が少なくなりがちであり、研修環境も勤務環境も向上させづらい(伊藤ほか 2011)。加えて、医療の高度化も背景として、少ない医師数では十分な急性期医療を展開できず、県央医療圏などで二次医療圏外への患者の流出が喫緊の課題となっている(新潟県 2020)。
さらに、三つ目の困難である少子高齢化の進展が、自治体財政の悪化に拍車をかけており、自治体病院の経営を支えてきた繰入を持続不可能なものにしている。少子高齢化は、急性期の患者数を減少させ、急性期を担う医療機関の経営そのものも悪化させている。これらにより、とくに中小規模の公的医療機関に対する再編圧力が加わっている(伊藤 2015)。
以上のように、面積が広大で山間部の占める割合も大きく、十分な急性期医療を展開できない地域において事故や容体急変などによって救急患者が発生した場合には、救急自動車による患者搬送に時間がかかり、医師による治療開始が遅れてしまうケースが起こりうる。そこで、早期の医師による医療介入によって、救命率の向上と後遺症患者の減少をはかるべく、ドクターヘリ(以下、DH)の運用が行われるようになっている。
DHとは、救急医療用の医療機器等を装備したヘリコプターであって、2001年の岡山県を嚆矢として全国で正式に導入されるようになっている。DHには救急医療を専門とする医師や看護師が同乗しており、救急現場等に向かい、救急現場等から医療機関に搬送するまでの間、傷病者に救急医療を行うことができる(平常時は高度救命救急センターを併設している病院(基地病院)等で待機している)。救急医療においては、治療開始までの時間が患者の救命率や予後に大きく影響するため、DHの最大の利点は、救急自動車のみによる搬送に比べ、医師による治療開始までの時間が短縮されることにある(猪口 2018)。
新潟県では2020年3月現在、2機のDHが運航されている。まず、2012年10月より東部DHとして新潟大学医歯学総合病院に配備され、2017年3月には、西部DHとして長岡赤十字病院に配備されている。原則として、365日午前8時30分から日没まで運航されている。
DHの運航に関する先行研究には、広域連携による基地病院の最適配置をシミュレートした研究(岡崎ほか 2015)、DHの最適配備数の研究(敦澤ほか 2014)、さらには、救命率をもとにDHの最適配置場所を求める研究(古田・田中 2011)などがある。たとえば、中国地方を対象に、人口統計を元に広域連携による基地病院の最適配置をシミュレートした研究では、DH導入に関し、都道府県内のみを考慮した配置が検討されている点を問題視し、中国地方5県の広域で最適配置を行った際の配備場所、配備数、配備順をシミュレーションから導き出している(岡崎ほか 2015)。
しかし、いずれの研究においても、ランデブーポイント(以下、RP)には触れられていない。RPとは、救急自動車とDHが合流する緊急臨時着陸場であり、救急自動車からDHへと患者を引き継ぐ場所となり、救急自動車内で治療が開始される。多くは、学校などのグラウンドや公園、駐車場などがあらかじめ指定されており、現場直近にある着陸可能なRPを消防側とDH側とで調整し決定し、DHが着陸している。患者と医師がより早く合流するためには、このRPの有効活用が鍵となる。新潟県では876地点(2019年7月現在)に設定されている。
ただし、基地病院の最適配置をシミュレートした前述の研究では、いずれも、RPの配置に関する論点が捨象されている。つまり、救急現場からRPまでの移動時間を考慮することなく、救命率や予後の予測モデルが作られている。そうしたなかで、唯一、RPに触れていたのが、北海道における冬季のDHに関する研究(宗広ほか 2011)である。この研究では、冬期は除雪された道路上に着陸させるなど離着陸場を工夫することで、積雪による影響を最小限にする提案がなされている。
しかし、RPの配置に焦点を当てた研究はなく、RPがどの程度の人口をカバーできているのかは明らかになっていない。他方で、現場の医師からはRPのさらなる整備を求める声も挙がっている(認定NPO法人救急ヘリネットワーク 2018)。
そこで、私たちは、これまで学術的な研究がなされてこなかった新潟県のDHを対象に、現在のRPの配置は適正かつ十分なのか、RPが効果的に運用されているのか、とりわけ冬期における消防等によるRPの管理、DHの支援に課題はないのかについて、研究を行った。