「アリは老いたるモグラを助けるか―アクターネットワーク理論で〈資本〉を発見する」『季刊iichiko』147号掲載

伊藤嘉高, 2020,「アリは老いたるモグラを助けるか―アクターネットワーク理論で〈資本〉を発見する」『季刊iichiko』147: 83-95.

冒頭抜粋

わたしたちは資本主義経済に対して実に無力であるように見える。資本主義の恩恵を受ける一部の者は、自分の利得を最大化することにすべてを傾け、共生に対する感覚を麻痺させている。他方で、資本主義の恩恵を受けることのできない大多数の者は、圧倒的な格差と不平等を前にして、共生に対する感覚を麻痺させている。

いずれの者にも共通しているのは、資本主義経済を「変えることのできない自然なシステム」として捉え、そのなかで生きることを自らの宿命として考えていることだ。しかし、資本主義経済は「変えることのできない自然なシステム」ではないし、私たちは「そのなかで」生きているのでもない。しかし、資本主義経済を「システム」なり「体制」として捉える限り、いかに抵抗したところで勝ち目はない(Latour 2014)。後に見るように、そうしたシステムや体制はどこにも存在しないからだ。

加えて言えば、今日の資本主義経済批判に対して向けられる冷笑的なまなざしもまた、必ずしも、そうしたシステムに対する無力さがもたらすものではない。もっと根本的に言えば、自らを「正義」と位置づけ、それに反する者を全面的に否定するイデオロギー的批判が失効しているのだ(ラトゥール 2020も参照のこと)。後述するように、科学論(とりわけ、アクターネットワーク理論)は、「厳然たる事実」(matter of fact)が仮構に過ぎないことを明らかにしてきた。つまり、科学的事実であれイデオロギーであれ信念であれ、自分は確固たる「厳然たる事実」を知っているとして他者を批判しても、それ自体に確実な実効性があるわけではないということだ。

たとえば、正統科学の根拠を「厳然たる事実」に求める限り、疑似科学の力を削ぐことはできない。地球温暖化懐疑論者さながらに、枝葉末節にこだわり、「それは確定した事実なのか」と反論する者が現れれば、どこまでも戦い続けるハメになるからだ。この点については、科学的根拠のない代替医療の跋扈、さらには、陰謀論やフェイクニュースにあふれる今日の状況を見れば明らかだろう(伊勢田 2003も参照のこと)。

それでは、私たちは、資本主義経済に対していかに「批判的(クリティカル)」になれるのか。それが本稿のテーマである。あらかじめ結論を述べておけば、アクターネットワーク理論によって以下のような〈資本〉の働きを「たどる」ことで、私たちは再び批判的になることができる。

実態的かつ現象的に構造化されていたり作用していたりするものの奥に、なんらかの「力」の「意味する」働き=作用がある。そこが〈資本〉である。それは、「意味された」時に、資本の姿を消す。資本は、諸構造と諸個人との間で、時間的かつ空間的に作用している「ある力」の意味する働き(シニフィアン)であり、個人や場所や機関など「個的なもの」に「領有」されている、「意味」以前の〈もの〉からの疎外表出である。(山本 2018: 36-7)

言葉を換えて言えば、労働が交換価値形式(たとえば、抽象的な労働者という「アクター」)へと一般化・抽象化されるありさまを「たどる」ことであり、そして、一般化・抽象化される以前の労働の働き(〈資本〉!)を「たどる」ことである。そして、私の見るところでは、事物の連関を愚直にたどろうとするアクターネットワーク理論(以下、ANT)は、上記のような―つまりは、〈資本〉のエージェンシーを引き受けるための―実践のツールとして「使える」。ANTの創始者の一人であるブリュノ・ラトゥールは、ANTはアリ(ant)であるという。

以前は、アクター‐ネットワーク‐理論のラベルをはがして、「翻訳の社会学」、「アクタン‐リゾーム存在論」、「イノベーションの社会学」といった具合にもっと精緻な名称を選ぶのもやぶさかではなかったが、ある人から指摘されて考えが変わった。つまり、ANTという頭文字は、目が見えず、視野が狭く、脇目をふらず、跡を嗅ぎつけて、まとまって移動するものにぴったりであると言うのだ。アリ(ant)が他のアリたちのために書く。これは、私のプロジェクトにぴったりではないか。(ラトゥール 2019a:22-3)

社会学者は、全知全能たる社会科学の神の地位を占めることができないからといって、薄暗い地下牢に囚われざるをえないのではない。私たち小さなアリは、天国か地獄かを選ぶ必要はない。この大地には、むしゃむしゃとかんでいけるものがたくさんあるからだ(ibid.: 266)。

地上をはいつくばるアリは、ついに、その姿を決して見せることのなかった「老いたるモグラ」を助けるのか。ひとつずつ見ていこう。……

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