昨年10月に医療経済研究機構より研究助成をいただき、「青森県西北五地域における広域ネットワーク型自治体病院再編による住民受療行動の変容」をテーマとした調査研究を始めている。
かつて私は山形県置賜地方で同様の調査を実施しているが、今回は、その時の反省――地域包括ケア等における自治体病院の存在意義――を踏まえ、社会的ネットワーク論の視点から住民の医療アクセスを客観的に評価し、自治体病院再編の検証を行いたいと考えている(「自治体病院がつぶれる!?―地方公営企業会計制度見直しの影響」の記事も参照されたい)。
そこで、研究の指針を磨くべく、昨年末に、自治体病院研究の第一人者である城西大学の伊関友伸教授(行政学)の謦咳に接する機会を与えていただいた。そして、最新刊である『自治体病院の歴史―住民医療の歩みとこれから』(三輪書店)を踏まえ、数々のご教示をいただくことができた。
本記事では、同書の一端をかいつまんで紹介し、自治体病院改革のあるべき方向性を改めて確認することにしたい。
目次
「制度」を支える「感情」(共感)
伊関教授は、自治体病院の経営再建のアドバイザーとしても各地でご活躍されている。そこで何よりも重視されるのが、「制度」もさることながら、人びとの「感情」(共感による行動)である。というのも、
意見対立のなかで、とにかく「制度」をつくり、人に「強制」すればよいという考えもある。しかし、どこかに矛盾としわ寄せが起きる可能性が高い。どのように精緻に「制度」をつくっても、かならず制度の隙間が生まれ、新たな問題を生じさせる危険性が高い。隙間を様々な関係者が埋めていかなければ、「制度」はうまく運用できない。隙間を埋めるには、すべての関係者が前向きに行動を行うことが必要である。関係者に「共感」があるほうが、積極的な行動を期待できるし、「強制」による「反発」が強すぎると、人びとの前向きな行動は期待できない。「共感」による人の積極的な行動が隙間を埋めるのである。(p.619)
本書では、「自治体病院の意義」を明らかにするために、明治以降の自治体病院をはじめとする公的医療機関の歴史が、600ページ以上にわたって丹念に描き出される。それは、制度、政策面での乾燥した記述に留まることなく、各地の病院史など膨大な資料渉猟によって、当時の人びとの「思い」までもが浮き彫りにされるかたちでなされているのである(したがって、とても読みやすい!)。
「住民医療」の舞台としての自治体病院
本書では「地域医療」の代わりに「住民医療」という言葉が用いられている。地域の医療を守っていくためには、住民は「お客様」ではなく、「当事者」として参加することが必要であるからであり、そうした文化は自治体病院(その源流である公立実費診療所や医療利用組合)を舞台にして培われてきた。そして、本書を通読することで、「自治体病院が、住民に『いかに平等に医療を提供するか』と『いかに安い『費用』で医療を提供するか』という2つの命題を実現するために知恵を絞ってきたかが分かる」(p.3)。ここでの「費用」は、住民が安い費用で医療を受けられることに加え、医療保険の運営コストをトータルで安くすることも含まれる。
さらには、「住民が健康づくりを行い、医療費総額を抑えようという予防医療の考え方や、医療と福祉と健康づくりを一体的に運営する地域包括ケアの考え方は、医療利用組合や国保直診の医療機関から生まれてきた考えであった」ことも、大正・昭和初期の公立実費診療所や医療利用組合と当時の医師会の対立にまで遡って論じられる。
次には、戦後の自治体病院の発展と危機も網羅されており、今後の自治体病院史研究の橋頭堡をなす書ともなっている。これは私の不勉強だが、1962年に設立された全国自治体病院協議会(全自病)の歴史的背景と当時の関係者の「思い」を初めて知った。
つまり、全国自治体病院協議会は「武見日本医師会の政治的な圧力と経営の困難さのなかで、自治体病院は生き残りのため、自治体病院の大同団結の動きを進める」(p.303)なかで設立されたものであり、「自らの生き残りをかけて、自治省との結びつきを深めていき、地方公営企業法の財務規定の適用など経営の効率化を行う一方、国や地方自治体の財政支援の確立を目指した」(p.314)のであった。
自治体病院改革が目指すべき方向
他方で、自治体病院は無批判に称揚される存在でもない。この点についても、本書では、イデオロギーではなく現場感覚に裏打ちされた分析と知見が示される。たとえば、地方公営企業法改正(1966年)を契機とした病院の独立採算制、営利化、合理化推進に対する自治労による反対闘争について、北九州市立病院と新潟県立病院を取り上げ、こう結論される。
筆者は、労働組合の意義は否定しない。病院職員の労働環境を守ることは、質の高い医療につながる。……〔しかし〕過激な労働運動自体は、一部の住民の共感を生む一方、反発する住民も生む。すべての住民の共感を生むには、医療現場における職員の努力と医療の質を高くしようとする理念と具体的な方策が必要となる。新潟県立病院の夜勤制限闘争は、「看護婦の雇用環境の向上が医療の向上につながり、住民・患者の安心が高まる」というメッセージが住民・議会全体に伝わり、共感を広げたケースであると考える。(p.374)
また、今日の自治体病院改革に対しても、「病院の運営の自由度を高めるためには、地方独立行政法人制度の導入など経営形態の変更が必要であると病院長や病院の幹部が判断するのであれば、導入に踏み切ることもやむを得ないと考える」(p.629)としつつ、市場原理と顧客主義(NPM)の導入の問題点が明確に示される。つまり、「住民は『お客様』ではなく、地域医療の『当事者』であり、地域の医療を守るための責任を持つ」(p.628)からであり、「要はバランスの問題である。市場にすべて『お任せ』ではなく、適切な競争に組み合わせて地域の信頼や連帯の視点を意識した政策が行われるべき」(p.616)なのである。
今日の自治体病院改革は、住民が意識を変え、互いにつながり、医療者ともつながり、どの程度の費用負担によって、どの程度の医療を望み、支え合っていくのかを民主的に決定する文化を醸成する契機とならなければならないのだ。
社会民主主義の舞台としての自治体病院
ここまで同書のごくごく一部を概観してきたが(同書では、医療制度、医療政策、医育、公衆衛生、医療保険制度、地方財政制度などとの連関のなかで自治体病院のさまざまな)、広く見れば、宮本太郎が指摘するように(『福祉政治―日本の生活保障とデモクラシー』)、日本の生活保障は、社会保障支出を抑制したまま、公共事業や業界保護による雇用保障を通して成立してきた(家族と連携して社会保障を代替してきた)。そして、仕事の配分による雇用保障は、(明示的なルールではなく)裁量的な行政と政治家の口利きによって進められ、さまざまな利権を増殖させてきた。
その結果、福祉や社会保障が政治的争点の中心になることはなく、日本社会に社会民主主義の文化が根付くことはなかった。近年になり、ようやく「社会保障と税の一体改革」が実施されるなどの動きが起きているが、市場主義的な視点からのみ改革を進めようとする勢力もまだまだ存在する。
同書によって、自治体病院は、数々の制度疲労を起こしている一方で、そうした社会民主主義の文化を醸成する舞台ともなってきたことが明らかにされていると言えよう。そうした意味でも、健康や生命の問題を経済合理性の問題に狭めてしまうような自治体病院改革は認められるべきではない(「なぜリスクは過小/過大に評価され、専門知が貶められるのか―メアリ・ダグラスのリスク文化論」の記事、さらには、本学医学科3年生の研究室研修報告書「山形県における病床機能報告制度・地域医療構想の課題」も参照されたい)。
もちろん、経済合理性の問題も無視することはできない。改革の方向性を個々の地域や病院の判断に委ねるだけでは、非効率な診療機能・医療設備の重複が残される可能性があり、医療経済面では、部分最適は実現されても、全体最適には至らない可能性がある(その典型が、今日の人口減少=過剰住宅社会のなか、移住者を呼び込むために地方の小規模自治体が進めているスプロール的な宅地開発である)。
とはいえ、強権的に広域型の自治体病院再編がなされれば、地域の住民や医療者の「感情」を無視することになり、ひいては住民医療の文化を毀損することになりかねない。自治体病院再編がどのようになされ、それによって住民医療の文化(広くは健康の経済的交換不可能性を主張する社会民主主義を含めた多元的な文化)がどう変化するのか/変化しないのかをも視野に入れた調査研究を進めてきたい。
目次
第一章 公立病院の隆盛と衰退(明治初期~中期)
一 公立病院隆盛期(西洋医学伝達の場としての公立病院設置の時期)
二 内務省衛生局の自治的公衆衛生政策の挫折
三 廃止が続く公立病院
四 行政目的達成のための施設(伝染病、性病、精神病、ハンセン病)
五 施療医療と公立病院
六 明治期に公立病院が必要であったのか第二章 医療の社会化運動から戦時医療体制へ(明治末期・大正期・昭和前期)
一 貧富の差の拡大による疾病の増加と恩賜財団済生会の設立
二 大正デモクラシーと医療の社会化運動
三 社会政策の進展と公立病院
四 明治後期、大正期、昭和初期の医師養成
五 農山漁村の経済破綻と医療利用組合運動
六 国民健康保険法の制定
七 厚生省の創設
八 戦時体制により増大する地方団体の事務と地方への財源移譲
九 戦時中の公立病院、産業組合病院
一〇 戦時中の医師養成(臨時医専、戦争末期の官公立医専の新設)第三章 戦後の復興と医療再建の時代(昭和戦後復興期)
一 第二次世界大戦の敗戦とGHQによる改革
二 国民健康保険制度の再建
三 「蚊とはえのいない生活」を目指した地区衛生組織活動(民衆組織活動)
四 当時の地方財政の状況と自治体病院の経営
五 公的性格をもつ医療機関の状況①(国の設置する病院)
六 公的性格をもつ医療機関の状況②(公的医療機関の設置する病院)
七 公的性格をもつ医療機関の状況③(現業、公社直営病院、各種共済組合病院)第四章 国民皆保険の達成と自治体病院の試練(昭和高度成長期)
一 高度経済成長と自治体病院の危機
二 医療法改正による「公的病院の病床規制」
三 自治省との関係強化と地方公営企業法の財務適用
四 国保直診医療施設の危機と地域包括ケア
五 全国自治体病院協議会と全国国民健康保険診療施設協議会の関係
六 疾病構造の変化と自治体結核病院の一般病院化
七 経営難に苦しむ公立医科大学(国立大学への移管運動)
八 病院の経営改善に対する労働組合の反対運動第五章 医大新設ブームと医療費抑制政策(昭和安定成長期~平成バブル期前後)
一 高度経済成長の歪みへの対応と医療の動き
二 医大新設ブーム
三 救急医療・へき地医療問題の発生と対応
四 第二臨調と医療費抑制政策
五 盛り上がる地方行革の機運と自治体病院
六 高齢者福祉・介護政策の展開(ゴールドプランと介護保険制度導入)第六章 新自由主義的行政改革の時代(平成期・橋本行革以降)
一 橋本・小渕・森内閣の行政改革
二 地方分権改革、市町村合併と保健・医療・福祉政策への影響
三 小泉政権の新自由主義的医療改革
四 国立病院や社会保険病院・厚生年金病院の改革
五 改革を迫られる自治体病院
六 医師不足問題とあいつぐ自治体病院の経営崩壊
七 地域医療再生の動きと自治体病院第七章 自治体病院と住民医療のこれから
一 自治体病院の歴史から学ぶもの
二 自治体病院の存在意義
三 これからの地域における医療の課題
四 自治体病院という組織に限界はないのか
五 医師の勤務する地域づくり
六 自治体病院の変革を起点にした日本の医療再生
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書誌情報
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