ブリュノ・ラトゥール著(伊藤嘉高訳)『社会的なものを組み直す―アクターネットワーク理論入門』法政大学出版局、588頁。2019年1月11日刊行。全訳。Bruno Latour, 2005, Reassembling the Social: An Introduction to Actor-Network-Theory, Oxford University Press.
概要
「本書を書くことで、ようやく、自分が社会学者と呼ばれることを誇りに思える条件を明らかにすることができた」――サイエンス・ウォーズによって、堅固な科学的事実に対する社会的説明(社会的なものを持ち出す説明)の説得力のなさが白日のもとにさらされた。しかし、そのことが意味するのは、「科学社会学はことごとく失敗せざるをえない(したがって、「科学者の社会学」などに自己限定しなければならない)」ことではなく、「社会理論そのものを作り直す必要がある」ことであった。
「話が細かくなるやいなや、社会学は例外なく反知性主義の立場へと後退するならば、なぜ、社会学は科学を名乗るのか」――こうして、ラトゥールらは、新たな社会科学の理論をまとめ上げる。それがアクターネットワーク理論(ANT)である。しかし、アクターネットワーク理論もまた、大きな誤解にさらされてきた。一方で、素朴実在論への後退とのそしりを受け、他方で、相対主義の権化のように扱われ、権力や支配の問題(あるいは人間の意志)を無視していると非難された。
「読者は、科学の営為などさまざまなトピックに対する私たちの見解にとまどっているというよりは、むしろ、『社会的』と『社会的説明』という語に私たちが与えている独特な意味にとまどっていることに気づくようになった」――そうした読者の批判ととまどいに応えるべく、本書は執筆された。本書は、「社会的なものの社会学」(sociology of the social)に代わる、「連関の社会学」(sociology of association)のマニフェストである。連関の社会学を、タルドやホワイトヘッドらの知的潮流に位置づけるとともに、他の科学論やエスノメソドロジー、グレマスの記号論などの成果を取り入れ、その勘所を具体的な例を挙げながら分かりやすく説く。そして、最後には、社会科学と政治の新たな関係を描きだす。
本書が、LSEの経営学部での講義、オックスフォード大学のビジネス・スクールでの講義などをベースにしていることからも分かるように、今日、アクターネットワーク理論は、社会学や人類学にとどまることなく、経営学、組織論、会計学、環境学、地理学など社会科学全般に広がるとともに、哲学や建築学、アートなどにも強い影響を及ぼしている。また、原発、温暖化、人新世などの環境問題を扱う科学者や行政担当者の間でも積極的に取り上げられるようになっている。
「この新たな社会理論がきちんとしたかたちで示された今、読者はこの理論をどう扱うのかを決めることができる。しっかりと活用しようとするのか、原形をとどめないほどねじ曲げてしまうのか、あるいは、最もありそうなことだが、すべて捨て去ってしまうのか―しかし、今度はその内容を知りながら!」――本訳書では、幅広くの方に読んで頂けるよう、可能な限り平易な訳文を心がけ、「誤読することなくスラスラ読めること(=少なくとも翻訳の稚拙さでつまずかないこと!)」を目指した(ただし、序論と第I部、第II部の「はじめに」だけは平易化に限界があった! もちろん、1回読んだだけですべて理解できるわけでもない)。
さらには、仏語版(2006年刊行)とも照らし合わせて全文推敲を行い、訳文のいっそうの明瞭化を図るとともに、これまで必ずしも十分に理解されているとは言えなかったANTの術語(たとえば、ラトゥールの用法におけるアクタンの意味)についても詳細な訳注を加えている。
書評・紹介
- 高橋幸治「書評」『FAB』3: 149-152, 2022年12月
- 鷲田清一「折々のことば 2320回」『朝日新聞』2022年3月15日朝刊
- 奥出直人「ラトゥール『社会的なものを組み直す』をわかるまで読む 全13回」note, 2022年1月12日
- 金信行「〈書評〉 ブリュノ・ラトゥール(伊藤嘉高訳)『社会的なものを組み直す』法政大学出版局/久保明教『ブルーノ・ラトゥールの取説』月曜社」『科学史研究』297: 79-82, 2021年4月
- 堀口真司「B. ラトゥール『社会的なものを組み直す』を読む : 経営学の視点から」『国民経済雑誌』 221(6): 61-83, 2020年6月
- 棚橋弘季「社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門/ブリュノ・ラトゥール」note、2019年9月22日
- 山本泰三「あらためてANTとは何なのかを入念に論じる―社会科学による批判的な分析は可能なのか、可能ならばいかにしてか、という問いを惹起」『図書新聞』2019年8月10日号
- 藤田直哉「別種の見方で社会を明らかにする可能性」建築討論、2019年8月7日
- 柳瀬陽介「B・ラトゥール著、伊藤嘉高訳 (2019)『社会的なものを組み直す』法政大学出版局、Bruno Latour (2005) “Reassembling the social” OUP」英語教育の哲学的探究3、2019年8月6日
- 竹端寛「中間項から媒介子へ」surume blog、2019年7月27日
- 仲嶺真「その日我々は気づいた。社会的なものに支配されていた恐ろしさを。一面的なものの見方に囚われていた悲しみを。」本が好き!、2019年07月27日
- 近藤亮介・中島水緒・藤生新「美術のいまを知るための必読書ガイド」美術手帖編集部『これからの美術がわかるキーワード100』2019年4月8日
- hontoブックツリー「なぜ、いま、アクターネットワーク理論なのか」2019年2月18日
- 月曜社[ウラゲツ☆ブログ]「注目新刊:ラトゥール『社会的なものを組み直す』法政大学出版局、ほか」2019年1月14日
- togetter「ブリュノ・ラトゥール『社会的なものを組み直す―アクターネットワーク理論入門』への意見・感想・批判・書評」
邦訳引用文献一覧
参考資料
お知らせ~翻訳稿の検討
[2023.02.16] 7刷出来! しかし、ついに本文に誤植が見つかりました(見つけていただきました)。7刷で修正されています。p. 281 後ろから3行目の×「投げ捨ててしまればよいのです」→〇「投げ捨ててしまえばよいのです」。申し訳ありません。
[2022.03.15]今朝の『朝日新聞』「折々のことば」欄で、本書の一文「批判的に距離を取るのではなく、批判的に近づくこと。これを私たちは目指すべきだ。」が紹介されています。後者の「批判的に」(critically)には「臨界的」の意味も込められています。「批判はなぜ力を失ったのか」の拙訳もご参照ください。
[2021.04.28]6刷決定! ……ですが、ここにきて誤植を発見。直してもらいました。p.117の原注66です。分散認知の超基本文献です。申し訳ありません。× Hatchins 1995 → ○ Hutchins 1995。
[2020.06.12]5刷決定! さらに、同時期のラトゥールの論考「批判はなぜ力を失ったのか」(Why Has Critique Run Out of Steam?)の拙訳稿が『エクリヲ vol.12』に掲載されました。同論考は、『社会的なものを組み直す』とともに、アクターネットワーク理論が文芸批評等における「ポストクリティーク」の先鞭をなすものとして注目を集める契機となった論考です。また、拙稿「アリは老いたるモグラを助けるか:アクターネットワーク理論で〈資本〉を発見する 」も『LIBRARY iichiko』147号に掲載。ANTの意義と勘所を場所論の視点から明らかにしています。
[2019.08.01]4刷出来! 久保明教さんの『ブルーノ・ラトゥールの取説』 (月曜社)もまもなく刊行ですね。
[2019.07.20]北大での読書会終了しました。開催報告はこちら。参加者の方々からは、「形式は中間項なのか媒介子なのか」など内在的な議論の数々を喚起して頂き、私に代わって、大変に中身のある会にして頂きました。誠にありがとうございました。当日の資料を本ブログの別記事で共有しています。
[2019.04.10]本書読書会のお知らせ。北海道大学教育学部子ども発達臨床研究センター主催(伊藤崇さん)。私も4回目に参加します!
[2019.04.01]3刷出来! 新年度に間に合いました。たくさん刷っていただいたので、当面、品切れはないかと思います。
[2019.02.08]刊行早々、各地で在庫切れが相次ぎましたが、重版出来! 私のもとにも届きました。印刷所の方も急いでくださったそうです。Amazonでも、ようやく在庫ありになりました。全国の大学生協での人文書新刊売上ランキングでも1~2位を推移しています。
[2019.01.11]本日発売! 文意不明な箇所などがありましたら、ぜひともご指摘ください。本ページでも応答していきます。
[2019.01.11]謝辞。本訳書は、数多くの方々との共同作業の成果でもあります。まずは「アクターネットワーク理論と社会学研究会」で訳稿をさまざまに検討して頂く機会を頂きました。研究会の主宰者である立石裕二さん、科学論の立場からコメントを寄せて頂いた見上公一さん、栗原亘さんを始めとする参加者の皆様。また、視野狭窄に陥りがちな訳者に対して、科学社会学の立場から常に目を見開かせてくださった松本三和夫さん、いつも率直かつ明快な酒井泰斗さん、『近代の〈物神事実〉崇拝について』の訳者である荒金直人さんからも、数々の貴重なコメントを頂き、訳稿に反映させることができました。そして、訳出作業の各段階では、以上の方々に加えて数多くの方から、誤訳、悪訳箇所の指摘も含め、さまざまな示唆と教示を頂きました。とりわけ、環境社会学が専門の大塚善樹さん、科学史が専門の住田朋久さん、社会心理学が専門の土倉英志さん、タルド研究が専門の池田祥英さん、文化人類学が専門の中村潔さん、社会経済学が専門の須田文明さん、コミュニケーション・デザインが専門の藤村正則さん、ANTを中心とした科学技術社会学史が専門の金信行さん。なかでも、ジェンダーの社会学が専門の柳下実さんには、訳文を丹念に読んで頂き、原文との対照の上、数々のご指摘を頂きました。そして、私が山形大学医学部在籍時に、専門外でありながら訳稿に目を通してくれた同僚や、お名前を上げることができない方々に感謝申し上げます。
[2018.12.11]本日、出版社責了となり、印刷所に送っていただきました。年内に見本出来、発売日は1月上旬予定となりました。原書の索引が独特な形式をしており、それを再現したため少し時間がかかってしまいました。
[2018.11.09]出版社の方も急いでくださり、年内出版も可能とのこと! 法政大学出版局のサイトにも案内が載りました。
[2018.11.02]待ちに待った初校ゲラが届きました! 修正箇所はメモしてあるので、できる限り速やかに送り返し、遅くとも2月までの出版を目指します!
[2018.01.30]法政大学出版局に訳稿を送りました! 最終的に17名の方から訳稿に対する具体的かつ建設的なコメントを頂戴しました。誤訳、悪訳もしっかり洗い出しました!
[2018.01.10]本書などを題材として、酒井泰斗さん、中村和生さん、吉川侑輝さんを報告者とする「ブリュノ・ラトゥールの形而上学とエスノメソドロジー」検討会の第1回が2月13日より開催されます。私も参加します。
[2017.11.04]第90回日本社会学会で「モノと人の社会学」テーマセッションが午前、午後にわたって開かれました(コーディネーターは、立石裕二さん)。たとえば、大塚善樹さんの報告では、日本の環境社会学の分厚い蓄積を踏まえてANTの意義と可能性を論じられていたように、そして、松本三和夫さんもコメントされていたように、各分野で日本の社会学が積み重ねてきたものを尊重しつつ、ANTの意義を正確に伝える作業が求められているようです。その点で言うと、フロアからのコメントにもあったように、「モノのエージェンシーを認めると行為の責任の所在があいまいになる」、「ANTは非規範的だ」、「ANTは相対主義だ」といった認識がいまだにあり、日本の社会学においてANTが受け入れられていない理由の一端が見えました。ただし、これらの批判は『社会的なものを組み直す』ですべて応答され今日の世界的な隆盛に至っており、この流れが日本の社会学では完全に抜け落ちているようです。したがって、今回の翻訳は、ANTを真に批判的に受け止めた社会学知が日本から構築されるためにも丁寧になされる必要があると感じました。その点で、今回の訳稿は「ANTと社会学研究会」に参加されている全国各地の社会学研究者の方々にチェックしていただく機会に恵まれており、条件は整っていると言えます。
[2017.09.24]「ブルーノ・ラトゥール」、「ブリュノ・ラトゥール」の表記問題について、昨日の研究会で、ラトゥールの『近代の〈物神事実〉崇拝について』の訳者である荒金直人さんとやりとりさせていただきました。これからは「ブリュノ・ラトゥール」で統一する流れをつくろうということで、今回の訳書も、『〈物神事実〉崇拝』に続いて、「ブリュノ・ラトゥール」でいこうと思います。
[2017.08.24]「アクターネットワーク理論と社会学研究会」で翻訳稿を検討していただくことになりました。9月23日(土)14:00~17:00、早稲田大学戸山キャンパスです。コメンテータは、見上公一さん、栗原亘さんです。私の発表では、(1)ラトゥールのANTは、社会学なのか形而上学なのか、(2)能動と受動を越える行為理論としてのANTの可能性、といった観点から訳稿を整理したいと考えています。詳細はこちら(ジンメル研究会大会「ジンメルとアーリ」と被っている……)。
[2017.07.01]松本三和夫先生に勧められて科学社会学会に参加しました。ANT部会では、まず、院生の方から2件の報告がありました。個人的に話をすれば興味深い議論がいくつも出てくるからこそ、今回の報告は「もったいない」面がありました。「なぜ今、ANTなのか」ということを端的に伝えつつ、自分の論点を展開することの難しさを痛感させられました。
続く、栗原亘さんによる第三報告は、本書でも議論されているANTの政治的な意義(political relevance)を深く理解させてくれるものでした。さらには、Politiques de la nature以降の議論を踏まえ、「STSの政治的関与は、ラトゥールの考えるANTによるコスモポリティクスから考えると非常に限定されたものである」という論旨に対して、フロアから、「いやそんなことはない。STSもさまざまなかたちで、当たり前とされる事実を争点化してきた」という応答がありました。それに対して、栗原さんは「その点について論争があることは承知している」と回答されましたが、時間の都合から、突っ込んだ議論はなされませんでした。
本書の議論を踏まえれば、問われるべき論点は、本書の用語を使えば、第四の不確定性を「争点化してきたかどうか」――つまりは、「厳然たる事実」(matter of fact = faits indisputables)を「議論を呼ぶ事実」(matter of concern = faits disputés)に変えてきたかどうか――はもちろんのこと、STSが他の四つの不確定性をどのように扱っているのかが論点になりそうだと感じました。
ちなみに、松本先生からは、「イギリスでは、原子力政策の担当者もラトゥールは読んでいるんだけどね」といった状況も教えて頂きました。
[2017.06.23]7月1日に開催される科学社会学会第6回年次大会(於・東京大学)で、「アクターネットワーク理論の検討」のセッションが設けられています。本書も取り上げられるとのことなので、私も聞きに行きます。
[2017.05.21]翻訳中の訳稿に対してコメントいただける方を求めています。「アクターネットワーク理論と社会学研究会」で訳稿を流し始めていますが、同じものをお送りしていきたいと思います。ひっかかるところに線を引いていただくだけでも構いません。御礼として、(ご承諾頂ければ)訳者後書きでお名前を出させて頂き、刊行後に献本致します。メール、SNS等でご連絡いただけますと幸いです。
[2017.05.20]「アクターネットワーク理論と社会学研究会」に参加。池田祥英さんの報告では、タルドの心間心理学と社会学の異同について(ラトゥールは、タルドの心間心理学ではなく、その社会学を引き継いだと言うべきではないのか)、そして、タルドの社会理論と形而上学の関係(ラトゥールは両者は切り離せないとしているが、タルド自身は別のものと考えていた!?)、などなどANT理解を深める論点が数々出ました。村井重樹さんの報告では、ラトゥールのいうところの「批判社会学」=ブルデュー社会学と位置づけ、両者の非難の構図が浮き彫りにされました。その後のディスカッションでは、ラトゥールも指摘していることですが、両者は見ているものが違う、共存可能であると整理されたように思います。
[2017.05.16]単独訳で翻訳を始めています。翻訳中の訳稿を、「アクターネットワーク理論と社会学研究会」(詳しくは、立石裕二さんのウェブサイト)で検討する機会を設けていただく予定です。同研究会のメーリングリストで訳稿を上げ始めました。ご関心のある方は、どなたでも、メーリングリストに参加できるとのことです。
目次
序章 連関をたどる務めに立ち帰る
第1部 社会的世界をめぐる論争を展開させる
- はじめに―論争を糧にすることを学ぶ
- 第一の不確定性の発生源―グループではなく、グループ形成だけがある
- 第二の不確定性の発生源―行為はアクターを超えてなされる
- 第三の不確定性の発生源―モノにもエージェンシーがある
- 第四の不確定性の発生源―〈厳然たる事実〉 対 〈議論を呼ぶ事実〉
- 第五の不確定性の発生源―失敗と隣り合わせの報告を書きとめる
対話形式の幕間劇―アリ/ANTであることの難しさについて
第2部 連関をたどり直せるようにする
- はじめに―なぜ、社会的なものをたどるのが極めて困難なのか?
- 社会的なものをフラットな状態に保つ
- 第一の手立て―グローバルなものをローカル化する
- 第二の手立て―ローカルなものを分散させ直す
- 第三の手立て―複数の場を結びつける
結章 社会から集合体へ―社会的なものを組み直すことは可能か?