『2023年度ゼミ卒論集』を発送しました!

先日、卒業式前の4年生が『ゼミ卒論集』をそれぞれの調査対象者の方々に発送する作業を行いました。卒論集の作成は義務ではありませんが、学生の熱意に負けて作成しました。学内の印刷機を使って学生が本文を印刷し、表紙印刷と製本のみ印刷所にお願いすることで費用を抑えました(50部で2万円)。

「まえがき」を本ブログに掲載します(一部、匿名化)。

なお、本編と「あとがき」は、学内アクセス限定で、学部ゼミのページから閲覧できます。

▲写真:お礼状とともに発送

まえがき

社会学による調査研究が目指すのは、さまざまな主観的な意見が飛び交う調査対象地に飛び込み「ひとつの客観的事実」を明らかにしたり、学問的知見に基づくひとつの解決策を示したりすることだ……そう思われるかもしれません。しかし、そうではありません。社会学の営みを支えているのは、そうした客観的事実はどこかに厳然として存在しておらず、唯一の客観的な解決策もないという前提です。 

この前提は、しばしば「常識を疑え」というスローガンで表現されてきました。しかし、そうしたスローガンを表面的に受け止め、適当な態度で社会学を実践するならば、それは「みんなそれぞれでいいんじゃないの」という放埒な相対主義で終わってしまいます。それでは、「私」は一人で生きるほかなく、「私たち」という集合性は生まれず、共通の問題は生まれず、解決すべき社会問題が皆で議論されることもありません。その結果、表では「自己責任」の言説が喧伝され、裏では縁故が跋扈する世の中になってしまいます。 

だからといって、人びとをつなぐ客観的事実や普遍的な解決策を誰かが特権的に提示しなければならないことにはなりません。客観性と普遍性には、必ず暴力や抑圧が存在するからです。つまり、その「客観的な事実」に当てはまらない人びとが必ず存在するからです。しかし、それでも何らかの客観的事実や解決策を求めなければ、「私たち」は「私たち」として生きていけません。そうであるならば、そうした客観的事実や解決策を、一つひとつの部材を用いて建築物を構築するのと同じように、一から手間暇かけて構築していかなければなりません。つまり、誰かが特権的な力を持つことなく、できる限り多くの人びとが等しく声を発し、相異なる声を集め、互いの声に耳を傾け、互いが譲り合いながらつながることによって、「皆に当てはまる」暫定的な客観的事実や解決策を構築し続けるほかありません。社会学はそうした動きを促すためにある、というのが私の社会学の基本的な考え方です(もちろんほかの考え方もあります)。 

今年度のゼミ卒業論文集の執筆者は、ゼミの1期生にあたります。したがって、お手本になる上級生もおらず、私の指導方法も固まっていないなかで、各自が地力を発揮して卒論に取り組まなければならない状況でした。それでも、学生同士が協力し合い、「絶対的なもの」の幻想に囚われることなく、相対主義に陥ることもなく、調査対象者の方々とともに手間暇かけて「共通の事実」を構築しようとする姿勢を貫いてくれました。 

Aさんは、神奈川県厚木市のインクルーシブ保育園を対象に、さまざまな立場の保育士の方へのインタビューを通して、インクルーシブなケアの実践が保育士の働き方に対するケアにもつながり、これまで周縁化されてきたケア関係がさまざまな人間関係のあり方を変容させる力を持ちうることも描き出そうとしています。 

Iさんは、新潟市内の子ども食堂を対象に、複数の食堂の運営者や支援者を対象にインタビューをおこない、それぞれの子ども食堂が、客観的に可視化される経済的貧困にとどまらず、私たちの社会そのものが抱える人間関係の貧困にも向き合い、取り組んでいる(ないし取り組むポテンシャルを有している)ことを描き出しています。 

H.O.さんは、愛知県設楽町のオリエンテーリングを通じた地域活性化を対象に、オリエンテーリングにかかわるさまざまな当事者の方へのインタビューを通して、目に見える経済効果や交流人口の増加にとどまらず、オリエンテーリングの企画や開催を媒介にして町内の人びとに新たなつながりが生まれていくことがもつ地域活性化の可能性に目を向けています。 

R.O.さんは、新潟市内のコワーキングスペースを対象に、その運営者と利用者の方々へのインタビューを通して、その運営が、トップダウン型でもボトムアップ型でもなく、ヒトとモノがフラットなかたちでさまざまにつながり合うなかで、新たなつながりも生み出されていくダイナミズムを描き出しています。 

Sさんは、山形県尾花沢市のスポーツクラブや駅伝大会を媒介にした障害理解の拡大の実態について、多岐にわたる当事者の方へのインタビューを通して描き出しており、一方向的な障がい者理解にとどまらず、障がい者理解によって、健常者を中心としたまちづくりもまた変容していく道筋に光を当てようとしています。 

Yさんは、豪雨災害から復旧したJR只見線の沿線住民を対象にインタビュー調査をおこない、実際の復旧は道半ばであり、これまでの検討会の枠組みを超えて、只見線に関わる多様なアクターが集い、只見線を媒介にして相互が変容していく仕組みが求められている状況を描き出しています。 

このように、数々の先行研究の成果を踏まえながらも、複数の調査対象の方々から真摯に学ぼうとする学生たちの姿勢は、ひとえに、調査にご協力頂いた皆様との出会いに触発されたからこそ、そして、調査にご協力頂いた皆様から過分なるご高配を頂いたからこそ、可能になったものです。それぞれの出会いとつながりを通して、学生たちは大きく変容しました。それがこれからの人生の大きな糧になることは間違いありません。深く御礼申し上げます。さらには、この論集の一編一編の論文を通して新たなつながりが一つでも生まれるならば、それに勝る喜びはありません。どうか、ご笑覧の程、よろしくお願い申し上げます。 

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