脱原発運動の特殊性と普遍性―青木聡子『ドイツにおける原子力施設反対運動の展開』

青木聡子『ドイツにおける原子力施設反対運動の展開』

日本では、東日本大震災(福島第一原子力発電所事故)以後、脱原発が一大政治争点化しているが、その先駆けをなすのがドイツである。2000年6月には、早くも連邦政府(社会民主党&同盟90/緑の党連立政権)が、国内20基の原子炉の段階的停止などの基本合意を電力業界とのあいだで実現させていた。その後の保守中道政権下では原発稼動期間の延長が決定されたこともあったが、東日本大震災後の2011年6月には、周知の通り、2022年までに脱原発を達成することを盛り込んだ第12次原子力法が閣議決定されたのである。こうした脱原発への方針転換は、反原子力運動の盛り上がりを受けてのことであったという。

『ドイツにおける原子力施設反対運動の展開』の著者、青木聡子は、社会運動論&環境社会学を専門として、ドイツの環境運動、なかでも原子力施設反対運動を対象にフィールドワークを積み重ねてきた研究者である(余談だが、青木さんはわたしの大学院生時代の研究室の先輩であり、同じ院生部屋で交誼をいただいた。青木さんの真摯な研究姿勢は、研究室に確かな秩序をもたらすものであった。)

青木が問うのは、(1)原子力施設反対運動の担い手である「周縁」の形成過程であり(どのような人びとが何故に周縁を選択し、周縁にとどまり続けるのか)、(2)そうしたローカルな抵抗運動がどのようにして連邦レベルの「うねり」へと拡大したのかである。以上の論点について、わたしにとって特に興味深かったところを取り上げてみたい。

普遍主義的な市民運動観を超えて

(1)について、青木は、現場でのフィールドワークを通して、原子力施設反対運動を「普遍的価値を有する自立した市民による運動」などと一面的に捉える見方を退ける。青木は、地域を基盤とした地元住民有志による運動が外部に対する開放性を獲得していく動的過程を析出するのである。

諸集団、とりわけ激しい直接行動によって現場に混乱をもたらしかねない外部参加者に対して、運動が初めから開かれていたわけではない。開放性をBI〔市民/住民運動団体〕の本来的性格であるかのように理解するのは事実に反していよう。むしろ対外的な開放性は、運動の過程で集合行為フレームの変容や集合的アイデンティティの変容、敵手の認識の変容を伴いながら、BIメンバーや地元住民によって意識的に選択され獲得されるものである。(48頁)

たとえば、ヴァッカースドルフにおける使用済み核燃料再処理施設反対運動の場合(第5・6章)、当初、元来保守的(権威主義的)な地元住民たちは、非暴力的で「正統な方法で『敵』(電力会社&州首相)の非を社会にアピールする者」として集合的アイデンティティを形成していた。各地からオートノミーと呼ばれる暴力的な若者たちも集まってきたが、そうした若者による暴力的行為に住民たちは辟易しており、運動は外部に対して閉じられていた。

ところが、1986年の占拠運動が状況を一変させた。その強制撤去にあったのが、「自分たちと友好的な地元警察」ではなく、連邦国境警備隊とベルリン機動隊であり、これら国家権力が地元住民に敵対的な対応を取ったのである。「こうして、『国家権力から剥奪された私たち』という集合的アイデンティティを受け入れざるを得なくなった地元住民は、『自らの正当性をめぐる闘争」という新しい集合行為フレームを形成することで、国家権力による正当性の揺さぶりを克服しようとした。この時点において、反対派地域住民のなかで『闘う存在』としての集合的アイデンティティが形成され始め」(185頁)、対立軸は原子力政策の正当性をめぐる軸に収斂され、「私たち」の範囲も拡大していくことになったのである。

なぜ運動は持続するのか―戦後ドイツの特殊性

しかし、こうした「対決型」運動が一過的・局地的なものにとどまることなく、結果として持続的な「普遍性」を獲得し、動員力と支持を獲得し、ドイツ社会全体が脱原発へと転換するまでに至ったのはなぜなのだろうか。第8章で展開されているゴアレーベンの反対運動の分析では、数々の参加者へのヒアリングから、運動の第一世代は、ときに第二次世界大戦やナチス時代に言及し、「そんな経験をするのは私たちだけで充分」という感情を示し、「後の世代のための闘い」という意味づけが共有されている。そして、第二世代(学生運動世代)の場合は、

私たちの世代は学生運動の時に親世代を糾弾したでしょ。「なぜヒトラーの台頭を許したのか。なぜナチスに抗して何もしなかったのか」と。そういった〔親世代の糾弾をおこなった〕私たちだからこそ、子どもや孫の世代に問われたときに、きちんと答えられるようにしたいの。(235頁)

こうしたヒアリング結果の分析を通して、青木は、ドイツの学生運動世代が抗議運動にコミットし続けた理由として、「ドイツの学生運動が『過去の克服』という特殊ドイツ的主題のもと展開されていたことが挙げられる可能性」(237頁)を示唆する。運動の表出的側面が重視されるからこそ、「一見『無駄な』行為を堂々と繰り返すことができるのであり、自らの行為に意義を見出すことができるのである」(238頁)。

以上は簡単な紹介に過ぎないが、本書の分析からは、ドイツの住民/市民運動が結果として獲得した普遍性は、あくまで戦後ドイツの特殊性が下支えしていたという視点が浮かび上がる。そうした世代責任と正統性への疑義に根ざした「対決型」の抗議運動の存在が、抗議行動の制度化(体制側への取り込み)を回避し、多様な中心/周縁の動力学を成り立たせてきたのだ。

対する日本では、どうだろうか。第二次世界大戦の「過去の克服」がなされず、権威主義的パーソナリティと国家の正統性が保持され、普遍と特殊が交わることはない。そして、原発再稼働の道筋が着実に付けられようとしている。本書は、脱原発の是非そのものについて別に検討する必要はあろうが(たとえば長谷川公一『脱原子力社会の選択 増補版』)、日本の中心/周縁のありようを考える上でも、得られるものは大きい。

目次

序 章 原子力施設反対運動への視座
第Ⅰ部 ドイツにおける「新しい社会運動」と原子力施設反対運動
第1章 「新しい社会運動」とビュルガーイニシアティヴ
第2章 ドイツにおける原子力政策の変遷と原子力施設反対運動の展開
第Ⅱ部 原子力施設反対運動への若者の接近
第3章 ヴィール原発反対運動の生成と展開過程
第4章 若者の運動参加とその影響
第Ⅲ部 原子力施設反対運動における集合行為フレームの動態
第5章 ヴァッカースドルフにおける反対運動の生成と展開過程
第6章 BISの運動戦略と地元住民の脱権威主義化過程
第Ⅳ部 ドイツにおける原子力施設反対運動と環境運動の現在
第7章 原子力施設反対運動経験地域の「その後」
第8章 ゴアレーベン反対運動にみる運動観の特殊ドイツ性
終 章 「社会運動社会」ドイツ
注/あとがき
資料1 ドイツにおける原子力施設関連年表
資料2 ドイツにおける原子力法に基づく原子力関連施設立地手続き
資料3 ドイツにおける建設法に基づく原子力施設立地手続き
資料4 ドイツ全図

書籍情報

脱原子力社会の選択 増補版
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