「グローバル複雑系における『地域的なるもの』の位置とその可能性―複雑系社会学と地域社会学の交接」『社会学年報』35号掲載

伊藤嘉高, 2006, 「グローバル複雑系における『地域的なるもの』の位置とその可能性―複雑系社会学と地域社会学の交接」『社会学年報』35: pp.141-62.

要旨

本稿では,現代のグローバル社会の無/秩序性の記述に不可欠なメタファーとしての「複雑性理論」が〈地域的なるもの〉に対して有するインパクトについて検討する.複雑系社会学が示してきたように,グローバル化は,それぞれ予測不可能性,不可逆性,共進化を特徴とするグローバル複雑系として考えることができる.グローバル・システムが示す構造安定性は常に一時的なものであり,グローバルな秩序とは予測不可能で不可逆的かつ無秩序ではあるがアナーキックではない世界である.

そして,こうした複雑系社会学の見地は,従来のグローバル/ローカルというスケールの枠組みをも融解させ,「近接性への衝動」を越えた〈地域的なるもの〉の再定式化を迫るものである.すなわち,グローバル化に「抵抗」する他のローカルな「領域」が存在するのではなく,グローバル-ローカルのスペクトル上を動く創発的で不可逆的な「さまざまなプロセス」が存在するのである.したがって,グローバルな「構造」があり,ローカルな「主体」がそのなかにあるのでもなければ,グローバルな「世界システム」とローカルな「生活世界」があるのでもない.グローバルとローカルは,複雑系のカオス的秩序の表裏を成すものなのである.とはいえ、ローカル・ノレッジに基づくポイエーティックな決定はグローバル・ネットワークのなかで無数の反復を通じて創発的なグローバル・レベルで予測不可能な非線形的帰結をもたらす.

本文抜粋

90年代後半以降,複雑系物理学を応用した「社会学的」分析が見られるようになってきた.その焦点は,物理的世界の分析と社会的世界の分析の相同性にある.とりわけ,ダンカン・ワッツらによる数理ネットワーク論の分野からの社会的ネットワーク分析の展開がその嚆矢をなしているといってよいだろう(増田・今野 2005; Watts 1999=2004, 2003;Barabasi 2002=2002;Buchanan 2003=2005).

他方で,モダニティや今日のグローバル化に関する社会学的分析においても,(意識的にせよ無意識的にせよ)「複雑性」を通じた概念枠組みが取りざたされつつあるように思われる.以下,具体的に見てみよう.

まず,アンソニー・ギデンスは,近代世界及びグローバル化の「制御不能性」,「予測不可能性」,「不可逆性」をジャガノートのメタファーを用いて描出している(Giddens 1990=1993).また,デヴィッド・ハーヴェイは,時間と空間が,絶対的なものではなくなり,通信輸送の新たなテクノロジーによって「圧縮」されるプロセスを描き出している(Harvey 1989=1999).さらに,マニュエル・カステルは,グローバルなネットワークのもつ力が旧来の合理的な官僚制のような集中的・階層的な統制からではなく,その「自己組織」的な性質から生じていることを分析している(Castells 1996).そして,ウルリヒ・ベックはブーメラン効果による内と外の境界を越えた「意図せざる結果」についての論究を深めている(Beck 1986=1998; Lash 2002).

最近では,ジークムント・バウマンが「リキッド・モダニティ」の性質を記述している.ここで,近代の性質は,「重く」,「ハード」なものから「軽く」,「ソフト」なものへと移行し,ヒト,モノ,カネ,イメージ,情報の速度は極限にまで高まる(Bauman 2000=2001).同じように,ネグリとハートは国民国家の主権に代わって,可動的な権力,すなわち〈帝国〉なる単一のシステムがグローバルな規模で立ち現れていると指摘している.これは「平滑世界」であり,脱領土化,脱中心化されており,権力の中心をもたない「政府なきガバナンス」(Hardt and Negri 2000: 13-4=2003:29,但し訳文は必ずしも邦訳書の通りではない,以下同様)であり,固定的な境界も障壁もない.「グローバリゼーションの時代とは,世界的な感染の時代なのである」(Hardt and Negri 2000: 136=2003:182,傍点引用者).またグローバル化についてボブ・ジェソップは,「それ自体の一つの独特な因果プロセスというよりは多くのプロセスの複雑な合力」(Jessop 2000: 339,傍点引用者)としてみるのが最も理に適っているとしている.

そして,以上の動向(およびタルドや後期ジンメルに代表される生気論に対する再評価の文脈;Lash 2005)を踏まえ,グローバル・プロセスの社会学的分析においても非線形的な複雑適応系物理学の「意識的な」援用が見られるようになってきたのである(Cillers 1998; Thrift 1999; Urry 2000=2006, 2003; Capra 2002; Lash 2003; Law and Mol 2002).すなわち,グローバル化を「領域」的なもの,ないし「構造」とみなすのではなく,「プロセス」として捉えるための分析枠組みを導出するために,メタファーとしての「複雑系」の可能性を考えようというのである. たとえば,ジョン・アーリは,予測不可能かつ不可逆的な変化のプロセスを検討するために「グローバルな複雑性」なる概念を展開し(Urry 2000=2006, 2003),……

この記事のタグ