「恕」によるつながり~邉見公雄『令和の改新―日本列島再輝論』幻冬舎【ご恵送御礼】

中医協で大変お世話になった邉見先生にご恵送頂いておりましたご高著『令和の改新―日本列島再輝論』(幻冬舎、2020年)を紹介します。

人生100年時代 生命(いのち)輝かそう日本国民
全国公私病院連盟会長ほか、数々の国・県・自治体等多数の要職を兼任してきた著者による、日本 “再輝” のためのエッセイ集。

邉見公雄『令和の改新―日本列島再輝論』書影

邉見先生との出会い~中医協

邉見先生は京都大学医学部ご出身の外科医で、1987年度から2008年度にわたって赤穂市民病院の院長を務められ、中医協改革のあった2005年から2期6年間、厚生労働省の中医協(中央社会保険医療協議会)の委員(病院団体推薦)を務められました。

今までこの診療報酬を決める中央社会保険医療協議会(略して「中医協」が一般的)の診療側委員は全員日本医師会推薦の委員であった。一人だけ病院団体の会長が委員となっていたが、発言は日本医師会に前もって了解を得るとの約束があったらしく議事録を調べても任期中の発言は1回も残されていなかった。これでは困ると厚生労働省も考えていた。……中医協の組織に大ナタが振るわれた。診療側委員は、医師代表5人のうち2人が病院団体推薦となり医師会推薦は3人となった。(p.147-8)

その後、民主党政権下でのさらなる中医協改革により、私の当時の勤務先であった山形大学医学部から嘉山孝正先生が2009年10月に委員に就任され、こうして、当時の「医療崩壊」(病院勤務医等の過重労働)からの脱却を目指し、現場のエビデンスに基づき、病院に手厚い診療報酬の改定(2010年4月)が実現されることになりました。

この4か月間は、私の人生で最も成長できた期間でした(2010年4月からは医療政策のプロフェッショナルである村上正泰先生が山形大学に着任され、その後は村上先生と参加し、また新たな学びを得ました)。嘉山先生は、医学部に着任して1年足らずの一社会学研究者に過ぎない私を選んでいただき(つまり私への教育も兼ねていた! 嘉山先生はまだ現役の脳外科医で超多忙であるにもかかわらず、恐ろしい話です)、週4日は東京で過ごし、そこで邉見先生の謦咳に接することにもなりました。

外科医としての邉見先生のお人柄と病院経営、診療報酬

邉見先生のお人柄を一言で表せば、赤穂市民病院の院是でもある「恕」(思いやり)ということになりますが、具体的には、制度や立場はあくまで人間同士が対等に公正につながるためにあるべきだという信念を感じることが多々ありました。

〔自院で下肢静脈瘤の手術を行った〕母の話から当院の看護師の評価が私とかなり違うことが判った。私が医学的に余り評価していない看護師でも、患者目線では優しくて丁寧、何度でも病室を訪れてくれる看護師が良い看護師なのだ。この見方は、後に自分自身が何度が入院を経験したことでも実感した。上から目線、職能評価だけでは駄目だということである。(p.117)

組織社会学も明らかにしてきたように、組織のリーダーに最も求められるのは、職能もさることながら、インフォーマルな人間関係を良好に築ける環境を用意できる力です(今はやりの言葉でいえば「心理的安全性」)。邉見先生は早くからそのことに気づき、実践されてきたことが本書から伝わってきます。

そして、本書では、診療報酬に関しても、麻酔科・放射線科・病理化の評価向上、医師以外の医療職に対する評価やチーム医療の推進に対するさまざまな視点が、現場での対等なつながりに根差した経験から生まれたものであることが明らかにされています。

こうした気づきと実践は、本書で描かれている一地方病院である赤穂市民病院での医療者や患者さんとのさまざまな邂逅により生まれ、そして、この信念がそうした邂逅をいっそうもたらしたものに違いありません。

痛恨の手術で今もずっと忘れられない患者がいる。私が行った胃カメラで早期癌が見つかったのでお宅へ電話した。午後3時頃だったと思うが奥さんが出られた。……「何の症状もないし元気なのに?」と。「やはり癌なのでなるべく早く手術した方が良いです」とほぼマニュアル通りの応答。

〔数日後に入院し、手術前のICで、家族歴に糖尿病があったため、吻合不全の危険性についても詳しく話をしたが〕その残念なことが起きてしまったのである。早期癌とあなどり若手医師に任せてしまったのがいけなかったのかもというのは後講釈。悪戦苦闘、あらゆる知っている限りの治療法を試みたが2週間後に亡くなられた。

お通夜にも参列したが針の筵であった。家族や親族の顔をまともに見られなかった。この方には三途の川で謝ろうとずっと思っている。しかし、このことが私を赤穂から離れてはいけないと決心させた。県立中央病院的な病院の院長や新設医大の准教授、民間病院の理事長へのお話も家族には「何で」と思われながらも皆お断りした。(p.128)

本書では、「外科医の一瞬の迷いや決断が人一人の生命だけでなく人生をも決めたり変えたりする」(p.122)エピソードが数多く紹介されています。親友の外科医に対する手術の後悔、特発性血小板減少性紫斑病の女性患者と家族と婚約者と婚約者の家族に対する「ハッタリ」、右脇腹痛を訴える妊婦さんへの手術とその後の国を超えたストーリー、「家庭教師をしていた高校生を合格させることに一生懸命のあまり自分の医師国家試験を落とした」麻酔科のリクルート、地元の歯科医師会の一部幹部からの無理難題を「パワハラ」として一蹴したエピソードなど、医師の仕事の大変さとともに、邉見先生の真摯さに触れることができます。

地方「再輝」へ!

こうした邉見先生だからこそ、東京一極集中へと人びとが否応なく駆り立てられ、序列化されていく今日の現状に対して、地方を「再輝」させるための提言がさまざまになされます。ここでは、教育について、とくに私が現任校(新潟医療福祉大学)で同じ思いで取り組んできた病院事務職(医療事務)の教育について、邉見先生の提言を紹介します。

経済財政諮問会議や財務省は自治体病院の経営が悪いと攻撃している。自治体病院は不採算医療を担い、地域医療の最後の砦なのである。そのため何でもそろえておかなければならず、専門店に負けている百貨店のようなものである。……この経営悪化にさらに輪をかけているのが県庁や市町村など本庁からの事務職の異動人事である。医療は一昔と様変わりし、昨日まで税務や水道にいた人がすぐに対応できる時代ではない。

……この件では私の院長時代に信じられないことを経験した。現職の事務長が消防長にと、突然引き抜かれてしまった。そもそも消防長の職は消防大学校で教育訓練を受けたものでないと駄目で、市の人事課のミスで次の人を育てておらず、彼しか資格者がいなかったらしい。泣く泣く了承したが、……次に着任した人が「ICUって何ですか?」と尋ねてきたので腹立ちまぎれに「三鷹にあるよ」と答えた。……

この経験があって、全国自治体病院協議会長の時代に「総務省に病院大学を」と主張したのだが実現しなかった。……やはり病院独自で採用して定年まで勤めてもらうプロパーが必要であり、それを実現するために地方独立行政法人に移行する病院が多くなっているとも思える。多くの国家資格を持つ職種が多数働く病院に、ローテーターと呼ばれる腰掛的公務員は不適当なのである。(p.42)

私は今年度末で現任校を退職しますが、引き続き、邉見先生のひそみにならい、新潟から地方「再輝」のための研究活動を続けていきます!

目次

はじめのはじめ(序の序に)

第1章 令和の今、行政改革最高のチャンス

人口減と少子化、本当の国難は人口減、東京1人勝ち、これが国の衰退に;東京一極集中が少子化のプロモーター;遷都か少なくとも分都を ほか

第2章 全員参加の健康づくり、病院づくり、街づくり

病院づくり・街づくり(一地方病院でのささやかな試み);家族の手術;田舎の隣人の手術;親友の手術とその死;病院祭 ほか

第3章 日病協の結成と中医協への参加

日本病院団体協議会の結成;中医協への参加;やれた事、やり残した事、やれなかった事 ほか

平成こぼれ帳

おわりに

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